2009年10月22日木曜日

Movie: Astro Boy (2009)


This movie which vividly expresses current movie business.

 映画館には字幕版を期待するも、殆どが吹き替え版でしか公開されない。クレジットでは凄い海外の声優陣なのだが...どうやら簡単には日本で体験できないようだ。日本の閉鎖的映画文化を再確認する。こういった場面には再三遭遇。東京地区あたりでは実験的にでもいろいろな設定を持って一応映画らしい映画が公開されるが、地方になれば大衆ウケ狙いの似たり寄ったりの映画ばかりしか公開されない。だからといってDVDやTV放映で映画を観た気分になる程「映画」に対して妥協してはいない。

 仕方がなく吹き替えを観る。この映画の良し悪しを語る以前に映画上映の在り方自体が不確実になっている分だけ、この映画の価値の殆どはそちら責任となる。所詮はスーパーマンでありスパイダーマンであれ、ドラマの構成はCGを駆使した最近のアニメーションの定番的作風。且つ大柄な白人が好みそうなハリウッドコメディ調もある。わざわざ日本らしさを残す必要性も感じられず、Tenma博士あたりの名前は単に原作への配慮としか考え付かない。

 以前よりアトムという呼称は「放屁」的な意味もあり米国ではアストロボーイとされていたが、現在に至っても壁は崩れていない。またこの映画では日本人がカッパコミックス時代から慣れ親しんだ姿は部分的にしか登場しない。胸を開けるとメーターがあったりホースでエネルギーをチャージしたり...というアナログ的な部分が削られ、完全に未来志向の背景で作られているためアトムを体験した時代感覚の時計をかなり進めなければならない。まぁ仕方がない気もする。尻からの機関銃はどうだろう?...ある意味手塚治虫的な「現実」への拘りな部分。今回はアトムの表情を見る限り、原作とのギャップを容認するのであれば、機関銃は不必要な気がした。

 色々書いたが、それでも適度に纏まっている作品なので、拘りのない人には楽しく観れるだろう。更に、この映画、現在世界レベルで考えるべき諸問題も織り交ぜて展開していくので、手法とかストーリーが平凡であっても売りにする点はいくらかある。

 最後のクレジットロールで香港のスタッフが漢文字とともに多く表示される。日本人には漢字なし。場面にも漢字の看板が出てきたり、これ香港舞台だったりする?。それでも御馴染みの日本語の歌が流れ、不思議な世界観だった。最後は「人工太陽」の巻を引用したラスト!?。ちょっと懐かしかった。

SHARE