2014年12月15日月曜日

Movie: Gone Girl (2014)


 一般的なサスペンスを装った表側と、まるでDavid Lynch作品を呼び起こす猟奇的な怪しさとが競い合い、やがては片方が他方に飲み込まれていくと例えたいマインドバトルストーリーでもある。

 これは普通のアメリカ映画に良くある背景を下地におきながら、実は奇妙な設定が至る所で見て取れる不思議な世界観がある。それはアナログとデジタルの不釣合いな存在とか、部屋の空間が冷たく感じる一方で、他人との距離がやたら近かったりするなどの設定のことである。実におどろおろどしい。これにより見る側を用心深くさせるのだ。

 映画のテーマはなんだったのか?。思うに愛だの平和だの…と口でいうものの、実は人間の奥にある「それらと対峙するもの」について、こういった形で表現したのではないのかと推測したりする。

 また気になったのが、マスコミの勝手な取り上げ方。手のひら返しのような流れは印象に残る。例えば「悪いことでも正直に語れば人々の賛同をえる」などの下り。よく考えれば、それが真実でなくても多数からの賛同さえあれば「悪でも善にかわる」的な偏った言い回しっぽくあり、怖いものを感じた。

 Rosamund Pikeの演技が好きだ。

2014年12月8日月曜日

Movie: Fury (2014)


 今にすれば「Private Ryan」や「Band of Brothers」はヨーロッパ戦線を描いたベンチマーク的な映画と言ってもいいかもしれない。今回は戦車VS戦車のアクションが見物という噂もあり、どちらかとえいば、史実+リアル表現よりも70年代に流行した戦争アクションに近いものと想像していた。
 しかし実際は、観ているうちに「The Poseidon Adventure」の印象が脳裏に入り込んで来てしまい、戦争ものというよりも脱出ゲームのような感覚で観てしまった。

 ストーリーを動かす2つの会話の場面がある。最初はテーブルを囲む場面。ここではそれぞれの人物像が浮き彫りになる。ドイツの女性が無情に殺されるのか?という心配も、ここでは些細な事として追いやられる。次は十字路でスタックした戦車の側での会話。先ほどのテーブルの会話では明確に出せなかった答えをここで出すようでもあり、同時に向かえる夜がその心理を代弁している雰囲気を出す。この映画、ベタなストーリー展開に思いがちだが、小技が色々効いている。

 つまり、猛獣の檻に入れられた場面で「平和説法」が通じるかという疑問に近いものがあり、無論、人間がやっていることなのだが、人間だからやらざるを得ない不条理の構造がここにある感じを受けた。

 戦車同士の対決は4対1で数では有利の中で、3両を失うほどの苦戦。この場面によってこの映画が描こうとする制圧が如何に難しいのかの表現にもなっておりなかなか面白かったし、一番だったのは、弾道がレーザー砲のように映される部分。これまでの戦争の怖さ以上の現実と非現実の境の言わばラグランジュ点のような印象だった。

2014年12月1日月曜日

Movie: Parasyte(Kiseiju): Part 1 (2014)


原作とは敢えて異なる作風にすることが間違っているとは思わない。事実過去にも同様のものは多く存在しているし、評価を上げたものだってある。ただ自分の場合は、ほぼ同時期にやっているアニメと、この映画との雰囲気違いを正当化する要素が見当たらないのだ。例えばそれは眼鏡だとか彼女の性格だとか、新一の家庭環境もそうだ。だからなのか、「寄生獣」をアニメにしろ映画にしろ多角展開するのは、現代の人間の置かれた立場に恐怖の方法論で警鐘を鳴らす意味だけが抜き出されてしまった感が否めない。

 ただ、事前の知識さえなければ「バトルロワイヤル」的なスリルを持って見ることは可能だ。決してA級ではないが週末のホラーとしては、その役目を果たしてくれるに違いない。新一の粗雑な振る舞いに比べ、ミギーが意外と安心感を与える存在になっているところは、ある意味定石を覆すようでいいのだろう。しかしやはりアニメでの新一の弱弱しさとミギーの心強さのバランスが自分の脳裏ではメインルートである。

 近年、映像技術の進歩によってクリーチャーものもリアルに近づいているとは思う。しかしそんな中にあっても昔の「遊星からの物体X」「エイリアン」などを超える革新的なものには出会っていない。そこには音や映像意外の何かがあるからだと思う。まだまだ今の映画にはビジネス上の予算だとか妥協だとかいろんな言葉が絡み付いている気がするのだ。


2014年11月23日日曜日

Movie: Interstellar (2014)

 過去に「2001: A Space Odyssey」、「Close Encounters of the Third Kind」「Planet of the Apes」の映画を観てきた中で、今回のこの映画に照らして言えば、今までわかりやすかった現実とSFの間のグレーゾーンを別の色に塗り替えてきたことにより心地よく鑑賞することができなくなった...というのが正直な意見。
 割り切った言い方をすれば、この映画は2つの見方ができるのではないか?。ひとつは現実と科学の可能性を個々の頭で考えながら何かの器に押し込めようとする見方。もうひとつは「A Space Odyssey」のように映像美を軸にした世界観を肌で感じる見方。自分は後者寄りだったが、IMAXで観るともっと感動できるのかもしれないと思った。
 終盤までなにかしっくり来ない印象を持ちつつ観るのだが、最後あたりでツギハギなところや、無理矢理なところを横目に観ながらもなにかに落ち着こうとしているものは感じ取れた。映画ではAプランとBプランの選択が提示されるが、地球滅亡〜人類存続をテーマにしているというよりも、「家族、人の繋がり」などが本当の主題にあるような映画だったと思う。
 Ellen Burstynがこのような役どころ。昔を思い起こすと、時間の流れを感じざるを得ない。


2014年11月9日日曜日

BD/DVD: BABYMETAL LIVE LEGEND 1999 1997 APOCALYPSE (2014)


 BLU-RAY版とヘッドフォンで初めてのBABYMETAL長編ライブを楽しむことにした。
 ヘッドフォンは特に奨励である。それだけ集中するに値する音源になっているのだ。もしTVのスピーカーでボーカル音量が小さく感じたのなら、ヘッドフォンを試して欲しい。

 "LEGEND 1999 YUIMETAL & MOAMETAL 聖誕祭" はライティングと色調にやや戸惑うのだが、カメラのアングルと切り替えの素早さでアーティストの表現を巧く捉えていると思った。聖誕祭の目玉である2曲はハロプロ関連。メタルアレンジのためか懐かしいというより新しさが勝る出来。
 "LEGEND 1997 SU-METAL 聖誕祭" はライブの臨場感が強烈に伝わってくる。映像作品としてはこちらのほうが好みである。SUの歌う「魂のルフラン」の歌唱クォリティーが高いのが特に驚き。あわせて「紅月」のバラードバージョンも同じ評価としたい。
 
 「ギミチョコ!!」は同様の場面がYouTubeで流れているが、BLU-RAY版を観て聴いて思ったのは、小型船舶とタンカーの差ほどの違いを印象づけられたこと。説明無用。とにかくこっちの映像を観るべきである。

 BABYMETALはおそらくメタルロックとアイドルポップの融合だけでなく、MCに代わるピクチャーストーリー(意味を含みつつパロディを織り込まれているのが楽しい)や、舞台劇的なアプローチ。さらには日本の唱歌などもすべて合わせて融合しているところが多くの人を魅了しているのだと考える。「麻薬のような音楽」と海外で評される点がそこにあるのかわからないが、このライブ映像だけでも何度もリピートして観てしまうから不思議だ。

 感想として、最後には涙が出るほど強烈なインパクトを持っているチームだと思った。買って損どころか、感動のお釣りがたくさんかえって来たのだから。

2014年11月3日月曜日

Movie: The Equalizer (2014)


   この作品、1970年代のクリミナル・サスペンスが好きで、特にCharles Bronsonの「Death Wish」が好きな人にはたまらないかもしれない。所謂この手の正義感をもって悪に対抗するストーリーはヒーローの危機一髪的なピンチシーンが付き物だが、ここでは超越したスキルにより負けない安心感がある。何かかつてのBruce Lee作品のようでもある。

   Denzel Washingtonも強すぎることもなく、弱すぎることもなく、かといって普通すぎることもないハマった存在感で、見ていて気持ちがいい。個人的には「Training Day」以来の飛び出た作品と言ってもよい。

   映画は時代を背負う。ロシアの犯罪組織が出てくることで、米露の情勢不安定がよくわかる作品にもなっているが、ソビエト時代を描いたClint Eastwood 「Firefox」のような国境の堅牢さが感じなかったのは、そこまで深刻な国際情勢ではないのか、はたまた、やや物語の中に甘さがあったのか。ちょっと関心が行くところである。

2014年10月13日月曜日

Movie:Dawn of the Planet of the Apes (2014)


 大変分かり易く、物語の流れもいい感じに作られていたので、飽きずにしっかりと頭に焼き付けることが出来た。

  正直、リメイクされた猿の惑星シリーズは公開されたタイムライン上では散漫な感じがして、復習必須と言いたいところなのだが、今回は、前後関係を知らなくとも十分楽しめるだろう。特に人間と猿の特長と関係がハッキリしていることにより余計な詮索で頭を疲れさせることが無いのが大きいし、地理(場所)が限らていることで事前の脳内準備が働いてくれるのだ。

 おそらく多くの人は、F.J.Schaffner版と潜在的にも照らし合わせていると予想する。自分もそうだが、猿が支配する惑星における人間の扱いと衝撃のラストは常にこのシリーズのゲージになってきた。今回の鑑賞では「喋る猿」の存在感と今後への流れが重要テーマとしてクローズアップ。次作が期待される。


   前作ではチンパンジー、オラウータン、ゴリラの職能が明示され、今回それが確立していたことに着々とした進化を感じさせてくれた。

2014年9月22日月曜日

Movie: Non-Stop (2014)


  ひさしぶりのグイグイ引き込まれる航空サスペンス。今から40年くらい前だったら「パニック映画」のブームにも加担できる作品であったろう。鑑賞中にもそう思っていたのだが、やはりこの映画は「Airport」「Airport'75」あたりからCAの役名を引用していたりするみたいで、色々と面白い要素が隠してありそうだ。

  映画の面白さを引き立てているのはカメラアングル。幾度か機内通路を往来するときの乗客の目線、雰囲気などをうまく捉えていることで実によい緊張感を作り上げていた。それから、最も面白かったのは、人物の立ち位置である。例えば運行スタッフとBill Marksとの関係や乗客との接点、或いはスマホのような小物品も重要であると感じた。
  やはり自分は「Airport'75」をイメージさせられる。ほとんど類似した展開において、あの映画はスタッフがヒーローだったのだが、今回は誰がヒーローなのかが分からない違いがこの映画のポイントであり、時代の流れだと思った。

  なぜか、機内にネットワークユーザーが許可され、使用が増えると犯罪懸念も多く出て来そうな危機感を覚えた。あと、エンドロールにもあるが、機内での喫煙を模倣する人が出てこないことを望む。


2014年9月1日月曜日

Movie: Into the Storm (2014)


 1970年代の災害パニック映画を蘇らせたかのような作品といっていい。かつては文部省選定や消防庁推薦のような映画はいくつかあった。しかし現在において政府が先頭に立って災害パニック映画にも力をいれていいかもしれない。ただ、パニック映画の前提はエンターティンメントなので、楽しむために観る訳なのでプロパガンダや教訓もの作品を前面に出せば多くの観客が背を向けかねない。先日の広島市土砂崩れなどへの配慮も考えるならば誰にでも見せていいものでもない感じもするのだ。
 この映画は残念ながらもB級スタイルの物語なので、うまい具合に映像に溶け込めない。内容がそこそこ見応えあるので勿体ない気がした。いろいろな人物が映像(動画)を撮影してくアプローチがかなり今風で面白いし、ドキュメンタリー色を持たせたインタビューカットとか、竜巻の通り過ぎた跡形もない場面や自動車が容赦なく降り注ぐ状況は今や現実的なところは映画のメッセージとしてはかなり良いセンスと言える。
 だからこそ最後には「残念」な部分が多く残った。

2014年8月14日木曜日

Movie: The Other Woman (2014)


  一般の暮らしの場面としてはあり得ない設定なのだけど、修羅場をほのぼの風にした分、コメディとしては当然のあり方に収まった。
 だがその裏方にはシリアスな部分もある。本来は男をとられた別の女の電話番号なんか知りたくもない筈なのだが、そういう問題観点を排除した感じの、何か周囲に構築された壁のようなものに現代社会の考え方自体が変化しつつあるのかとも思える。実際、日本を取り巻く周辺アジアの関係は、まるでこの映画にも当て嵌る部分が無きにしも非ず。
 まぁいろいろと考えても、結局はコメディ展開とエンディング。Cameron Diazが思ったよりも目立たなくなった現状のほうが重要かもしれない。面白くて笑える映画ではあるが、気持ちまで入り込めない点がなんとも残念。


Movie: Shirayuki hime satsujin jiken (2014)


散漫な映画という印象。
 前半で現代のありそうな軽めな目線で広まる犯罪の展開とネット民の反応を効果として利用した演出。いつだかあった証言を組み合わせた手法などを含めると前半に厚みを持ってきている感があった。だが、後半の検証と裏ストーリーになると何となく狭いフィールドに押しやられてしまい、例にとれば「砂の器」の悪い部分が出たような雰囲気になる。

 ネット社会と犯罪を誇大解釈したようなところや、重大犯罪の動機の軽さ的な扱いは確かに今風と思えるが、そもそも人間ひとりひとりの存在が薄すぎるため最後はどうでもいい気持ちを持って終幕を迎えることになる。

2014年7月28日月曜日

Movie: Godzilla (2014)


 いろんな映画を想像できる映画だった。例えば「Close Encounters of the third kind」。冒頭の突然変異的な状況をフォローしつつも核心へ進んでいく感じ。例えば「Jurassic Park」。ヘリの場面や怪物へのアプローチの部分など場面の進め方。その他にもいろんな映画が思い出せるが、それだけモンスターの登場シーンまでの重要性や緊迫感を求めていると推察できる。
 しかし実際は、思った以上のリアル感やテンポの良い流れにはなっていなかった。ある程度、水爆実験や津波、ビル崩壊などの過去の現実にあった悲劇の啓示として、進め方に拘った点はわかるのだが、それがマイナスに出ているようでエンターティンメントの軸からずれている感じがする上、やや退屈感に強いられる。
 このままでは、肩透かし映画になってしまうところだったが、橋の場面あたりから、気持ちが小学生のような感覚に!。本当に楽しくなってくる。つまりこの映画は、ストーリー云々を語るよりも、ここぞという場面のために長い行列を待つがごとく過ごしているのがよいのではなかろうか。
 MUTOという日本人名のような怪物が登場するが、これがかつてのガメラの相手のような存在であり、考えようによっては地球を侵略するエイリアンのようでもある。それでは地球を守るのは誰?。。。。。
 やはり東宝のシリーズの押さえどころはしっかりと継承されているようだ。

 最後は? これ、ビルを壊し過ぎだろう。


2014年7月14日月曜日

Movie: her (2013)


 どことなく見たことのある景色。これは上海の景色のようだ...思っていたら、やぱりロケ地は上海だった。五角場のモニタなども映し出されていたので「もしや」とは思っていた。

 高層ビルの住まいは以前憧れたものである。かつては「Year of the Dragon」あたりでも思った憧れ。でも手紙代筆の仕事が金になるのかという疑問も起きなくはないが。

 知能のあるOSについては自分なりに可能性を期待している。しかし実現は膨大なデータとの戦いになろう。例えば、OSがある人物の地位や立場を推測して対応すべきセンテンスを選ぶという場面があったとすると、現実的には過去に誰かが語った言葉を大量にサンプルして置いてその中から妥当なものを選ぶという論理になりそうだ。いわば過去をトレースすることが常識となってしまい。新しさという面での対応は期待できそうにない。ただ、人間ももともと誰かの言葉を真似て成長したことを正論とすれば、きっと過去の大量の産物の中から選択、組み合わせの繰り返しによる事例を「新しさ」という言い方で解決できそうだ。

 それにしても「Space Odyssey」の世界が映画とはいえ緻密になっていく様は恐ろしささえ感じる。日本の漫画でもこのジャンルの世界観は多種多様に描かれているが、人工知能が人間の意思と反する動きをすることについて考えてみるならば、ひとつは人間の考え方について正論を語れなくなっていること。ひとつは人間の思ったスケールではなくなっている疑問があること。ひとつは性格をどうとらえるか?ということあたりである。スケールについて例をあげるならば、セミは地上での命は一週間程度と短いというのが常識であろう。しかしセミにしてみればこの一週間が10年くらいの感覚なのかもしれないとは考えられないのだろうか?

 デバイスを持ち歩きつつ、独り言のようにしゃべりながら歩く者たち。なにかが違う。そんなラブストーリー。

2014年7月7日月曜日

Movie: Edge of Tomorrow (2014)


 どこかのレビューで「Leonardo DiCaprioの作品を観る場合、過去にいく準備が必要だが、Tom Cruiseの場合は未来へいく準備が必要だ。」と書いた記憶が有る。今回もTomは未来だ。しかも日本のライトノベルが原作だとあって日本志向が高い作品になっている。人間が機械を着るところはまさに日本的である。単純には比較できないが、特殊能力となる仕掛けがブラックボックスなヒーローよりも、技術理論が通ったものを共有しつつ広げている世界観が日本に精通しているからかもしれない。むしろ理論が通らねば、魔法カテゴリーへ持っていくのも別の意味で日本なのだが…。
 この映画はよりプロットを持っているのにもかかわらず、自分好みではなかったのが残念。ループものは期待するスリリング感を得られないと思っているからだ。ゲーム感覚に溶け込めば、何度失敗してもリセットすれば最初からできる感覚として捉えることもできるが、ドラマの中では「やりなおせる」という感覚が何らかのルーズな印象を受けてしまう。敵はエイリアンに習い「いきなりスピーディーに動く」「ギーガーぽさがある」等の怖い物体で、これらと戦う場面が「Saving Private Ryan」のようなイメージを作り上げているところは面白いとは思った。
 冒頭の報道シーン以降はやっぱりノルマンディーと被るものがありそう。

2014年6月16日月曜日

Movie: Noah (2014)


  今も尚、旧約聖書の有名な物語を真剣に史実というアプローチで探究する諸氏がいることに驚かされるが、人間への啓示となる痕跡が時代時代の何処かに残されていることの根拠が、歴史そのものの定義と意義への回顧を理の中で変換されながら今の人間が存在するならば、案外に嘘とは言い切れないのかもしれない。

  この映画は、聖書モチーフの映画の中では現代の空想色が強いためか、共感できない類の感情が阻害要因になっているのだが、人間の黒さについては「Black Swan」「The Fountaim」の監督作品だけあって裏表的な演出は評価できる。神の下にいる人間。そこには善悪という概念は無くなる印象を持たせているものの、神が人間を悪と見る観点に立とうとするならば、何処かで矛盾にぶち当たるのであるが、この悩みは、やっぱり空想世界という言葉で流すことが一番妥当なのだろう。


BD/DVD: Le salaire de la peur(1953) & Sorcerer(1977)


「恐怖の報酬」の 1953年版と1977年版の2本を観た。

(やや、ネタバレあり。including spoiler.)

  最初はHenri-Georges Clouzot監督でYves Montand主演作品。
   この映画の持ち味は、設定である。仕事が容易ではない雰囲気から啀み合う刺々しい雰囲気の酒場を軸としながら人物の様相が明かされていく流れにおいて、その背景の質感がしっかりしているため、グイグイ物語に引き込まれる。部分的にアクション場面に違和感はあっても、展開が面白いので問題は起らない。

 一方は、William Friedkin監督で Roy Scheider主演作品。「French Connection」や「The Exorcist」で話題をさらったFriedkin監督作だけに当時としては期待が高かったと思う。しかし改めて1953年版と並べて観たところ、こちらの映画の特徴は人物が集結する以前の設定にあることのみで、トラックを準備するあたりからなんだか設定が端折られており、1953年版のような緊迫する場面がほとんど見られない。崖の場面にしてもアッサリし過ぎている感じが否めないし、山賊の場面もどことなく定石的である。
 エンディングなどにやや違いはあれども、基本的に1977年版は1953年版をトレースしている内容なのでやや安心できるものの、どうしても比較して観てしまうところで1977年版にややがっかりが生じてしまう。
 1977年版の音楽はタンジェリン・ドリームである。これは売りだった点。エンドロールは「The Exorcist」風でもあり、ここは好きだった。

2014年5月14日水曜日

Movie: Prisoners (2013)


ラジオ番組で推薦していたので観にいったこの映画。確かに邪念なく入り込めるサスペンススリラーである。ただ「Seven」のような映画よろしく、安易なことを書けない映画でもある。それでもこれだけは書いておきたい。タイトルの意味するものが最初はよくわからなかったが、最後になってかなり自分的解釈に当てはめてしまった。別に意味を取り違えたというレベルの話ではなく、タイトル文字の裏の裏的表現についてである。

 役者が面白い。ノーマルな姿から非常事態にそれぞれの個性を出していくところが見ものである。特に「Fast Food nation」あたりから不気味キャラにはハマリ役のPaul Danoとか、「Crash」で自分自身を抑制する人物を演じたTerrence Howardは、この映画でも似たような役どころ。加えて彼は「Crash」のPaul Haggisカラーの作品にはよく似合う俳優でもあったりする。

 間違いなく中盤まではサスペンスものとしては十分雰囲気に入れる。あのHugh JackmanのKellerの存在がそれを牽引していることもある。ただ正直に言えば、中盤以降にはちょっと突飛な部分が足を引っ張っている感もある。Jake Gyllenhaal演じるLokiはとても良い役どころなのだが、サスペンスよりもアクションを助長している感じもしたし、他にもKellerの行動も人世代前のオカルト感覚を連れてくるようにも感じた。それでもスクリーンへ惹きつける映画の魅力は感じられたこともあり、なかなか満足できた。

 冒頭の鹿シーンには動物という対象ではなく、今存在するあらゆる政治的や文化的な偏見をも垣間見ることができる。誰の視点にも立つことができない状況設定の面白さえ窺わせた。


2014年4月9日水曜日

Movie: Lone Survivor (2013)


  まず、この映画が真実に近い物語とするならば、アメリカの立ち位置の怪しさが垣間見れることになり、ギャンブル性も織り交ぜた作戦展開には疑問符だらけとなる。
  冒頭、不思議な導入だったためか何を描きたいのかが不明瞭で粗雑であったが、ラストあたりでこのラフさ加減に意図が認識できる気がした。人物像は穏やかにクローズアップされ、戦闘とは程遠い雰囲気が漂いつつも、指令を得て現地に赴く兵士の場面あたりからサバイバルゲームの雰囲気で自陣と敵陣とのややルーズな距離感が支配する。ただ、言い様によっては大変つまらない進行である。このつまらなさも重要なエレメントと見做すことになるのは、「プライベート・ライアン」的な後半があってこそだった。
  この映画の見所は大きく二つある。一つは、幾度かの選択肢を観客にも問いかける作りとなっている部分で、大方が登場人物の選択肢と似た感じであろうかと。そして、もう一つは、先入観を否定するメッセージ性のある表現。それは人種だったり、行動姿勢だったりするわけだが、実際、敵味方がある以上は「先入観こそが全て」な点もわからないわけではない。この映画のこのような隙間を付く部分は、見えにくいところで価値を生んでいたようだ。

   最後まで、危険な場所へ仲間を晒しながら、救援体制の不十分なところなど、実話だから?かもしれないが、納得できない点がだったことは、言っておこう。


2014年3月16日日曜日

Movie: The iDOLM@STER Movie Kagayaki no Mukougawa e (2014)


 率直に評価すれば、アニメ作品としてテレビシリーズからの流れを熟知しているファン層なしには成立しない内容であることには間違いない。その一方で、ここまで単作として成熟したものを提供してくれることは嬉しい限りである。
 もちろん無知識でも観れることは間違いないが、どうしても楽しむための要素がテレビシリーズやゲームソフトからくるために、これだけ多くのキャラクターが存在することもあり、やはり、ひとりひとりの個性を知っておくべきだと思う。そう考えるとアニメ産業の今後について、根の張ったファン構造が、ここ最近の浅く広くの文化の流れに相反する部分となり、実に危惧されるのである。

 映画の前半はあまりにも鉄板な幸せ展開。初見の人にもある程度の人物像が把握できると思うが、煤けた事務所と有名アイドルのアンバランス感覚まで摑み取れないかもしれない。中盤からはサポートダンサーをマージした流れ。この辺からメインキャラの存在が薄まってくるが、焦点がキャラの個性を「ジグソーパズルの1ピースでも欠けたら完成は無い」ことと同様の主張を交えて演出が絞られているので、心配していた逸脱感は生まれなかった。この辺は見る人の視点によると思うのだが、自分的には春香の立ち位置をブレさせなかった点を評価する。

 ライブシーンは短かったものの、躍動するアングルで捉えられ(CGもそれなりに効果をあげていた)、この映画の一番の「見せ場」となっていた。



2014年3月10日月曜日

Movie: 12 Years A Slave (2013)


  Steve McQueenという監督の特長が認識できる作品であった。例えば小説で言うなら章のはじめを印象づける感覚の風景シーン。これがまたBGMとの相乗効果を形成しつつ、奇妙だったり、穏やかだったりする。かつての映画ファンがスピルバーグのカメラアングルに関心を抱いた時のように、McQueen映画の接写アングルには個性があるのだ。そして重要な場面での唾も飲み込めない空気を漂わせる長いショットもそれにあたる。しかし、最も心動かされたのは、映像のつなぎと曲と雰囲気がコーラスでいうオブリガードのようにオーバーラップする場面。その一方では、時間経過を伝える場面は様々にして潔い。時間の制約がなければこうならなかったのかもしれないが…。

    奴隷問題として比較されそうなのが、かつてのテレビシリーズの「The Roots」。これを同テーマの代表作と考えても何十年か前の映像の多くはヒストリカルなものとして扱われてしまっている傾向があった。今回の作品は、むしろ人間としてのあり方を伝え、聖書(神のことは)や自然の営みが人間の存在とのコントラストを強調していたようだ。最近の映画では感じなかった「不思議な効果」を感じ取れたのは実に収穫だったが、トータル的にはブツ切れ感は残った。

   久しぶりにPaul Danoのようなクセのある俳優を確認できた点も収穫だった。

2014年2月17日月曜日

Movie: The Wolf of Wall Street (2013)


 これは観ていて不愉快になることこの上ない映画であった。ScorseseとDiCaprioコンビの作品だからこの上ない上級な環境で作られているにもかかわらず、内容がB級以下の展開と素材で満たされており、とんでもない作品になっていた。
 3時間近い上映時間も軽々と見切れたのは、不愉快と思わせつつ「しめしめ」とほくそ笑む有名コンビの罠に嵌ってしまったのかもしれないからだな...と思った。冒頭はまだ落ち着いた展開である。スクリーンから毒は漏れてくるが、それでもまだいい流れになっている。しかし馬鹿丸出しのエピソードは中盤からこれでもかと思う程に畳み掛けてくる上、毒に塗られたスクリーンと言ってもいいくらいの流れに変化、一種のローラーコースタームービーへ昇華。むかつきまくったこの映画も見終わると何故だか楽しさしか残らない。スタッフの巧さに負けた映画とも言える。
 この映画では、日本でも多く居そうな羊を狙ったオオカミ企業の実情をおもしろおかしく実話と関連させた展開にしている。こういった映画を観るにつけ、回転数を上げ、メーターを振り切った走りを続ける乗用車の末路が浮かぶ。
 法を潜って得られる大金。どう考えても人間として誇れるものではない。個人的にはこの映画の主人公は世の中にシワを作るカスでしかないと思える。ただ、今では犯罪者であっても格好が良ければ賞賛され、関心が低ければ許される時代でもある。実に怖さを暗に示した映画でもある。

 Robbie Robertsonが音楽にかかわっているだけあって、時代の泥臭い面を音楽でもサポートしていた。


Movie: The Butler (2013)


 TV以外でOprahを観れるのは珍しい限り。Jane FondaやLenny Kravitz、Mariahあたりも出ているので、別の意味で楽しめそうだった。
 感想としては、改めて多くの疑問が生まれた。"Roots"でもわかるとおり米国の奴隷史はアフリカから連れてこられた民族と欧州からアメリカに根付いた民族との悲劇的コントラストであった。しかし、なぜ肌の色で優劣の構造ができたのか?かつて黄河、ナイルなどで生まれた文明を知っていながら、今に至る不可思議な偏見は歴史的に必然だったのか?を問いたくなった。
 最近日本の隣国が何年も前の件を今再び持ち上げ、さも世界中で日本だけの問題であるかのように海外へのアピール活動を続けている。もし突然、世界からアメリカに対して奴隷制、差別への賠償問題を前面に出したらどうなるだろう。結局、時間の隔たりは別の脚本を作り上げ、今の都合で問題化されることになる。そこには本質という言葉も無くなってしまい...。この映画のなかには、今、世界で案じられている多くの問題を含めつつ一つのストーリーが出来上がっている。美味しい部分は、時代毎に大統領から執事に語られるボヤキや相談事にある感じである。

 Forest Whitakerの演技は観ていて清々しいものであった。Cecilの喜怒哀楽人生がなかなか染み渡った表現を評価したい。


2014年2月9日日曜日

BD/DVD Rush (2013)


 かなり昔だが、ルクセンブルクにて観光バスを降りた周辺のショップで、メタリックなステッカーを売っていた。当時はジェームズ・ハントがマクラーレンで活躍していた頃。もちろんハントのステッカーを買った。この映画をきっかけにして、その頃を思い出そうと頑張りつつ、鑑賞してみた。

 冒頭、ハントの70年代のヘスケス時代が映され、そこにはポスレスウエイトも居る。やがて「ニューカマー」となって登場するラウダ。ここでの二人の絡み。なんとも言えぬシーンだ。

 Ron Howardの得意な夢ある展開に仕立てた点により、実話ではあるものの更に人間ドラマとして膨らませているところが良い。もちろんF1自体がドラマチックなことは言うまでもない。'88、'89でのプロストとセナの争いはその代表格。映画が単に脚色の賜物ではないことを理解している人は少なく無い筈。この映画と強くラップするのが、ラウダ視点での「危険」というテーマであり、実際に起ったベルガーの炎上事故やセナの事故死から強いインプレッションを得たと推測される場面が多々でてくることから、何か教訓めいたメッセージ性も感じられる。
 もうひとつは、ハントとラウダの人間像の対比的な演出により、伝統的童話めいたストーリーとして受け入れやすくなっていることも注目したい。ドイツGPでのドライバーミーティングでのコンディションを見据えた対応でも二人の差がでてくる。レースでは有名すぎるほどとなった炎上事故の場面も再現されており、映画を離れて現実の苦い思いが噴出される。明らかに二人の立場に優劣となって描かれるのだが、これはこれなりの思いで観てしまうのも、実際、Ron Howardはこういったパターンで突き進まないタイプだとはよくわかっているからでもある。予想通り?日本GPでは、今までを覆すような結果にもなっており、映画としての持ち味を十分もった実話ドラマになっていた。

 日本GPがクライマックスになっているのが痛痒い展開だった。ひらがなの「たいれる」まで再現されているのもまた痒さを感じてしまった。

  フッテージでは実際のニキからオーストリア・イントネーションの教えを受けるエピソードだとか、三菱EVO8によるレーストラック撮影の場面もある。こういうのが実に楽しかった。


2014年1月2日木曜日

Movie: Gravity [3D] (2013)


3Dバージョンで鑑賞した。時間的に已む無く日本語吹き替えおよび3Dという設定から逃れられなかった。
 まず、3Dはいいかもしれない。特に宇宙ゴミが飛来してくるあたりは面白い。
 日本語吹き替えは駄目。なんだか声があっていないし、雰囲気が伝わらない。
 素朴な疑問。中国の宇宙設備操作盤では中国語を使っているというのは、あまりにも酷い設定だが、これが本当ならば中国は駄目国家決定。
 ペンだの本だのいろいろと宙に飛び交うのも巧い演出なのだが、中国機内での卓球ラケットはベタすぎるのでは?。
 
 時間の感覚や距離感に戸惑う面もある。宇宙ステーション間の距離や酸素の残量と時間。いろいろな面でギャップはある。
 「2001年宇宙の旅」のオマージュ的な感覚も持ち合わせており、デザインされた映像設定は危機的な状況でありながら不思議と安心感を与える。
 ラストは「猿の惑星」のテイラーを想像したりもした。異空間すれすれの世界観でコーティングされていた。
 
 そんなに長くない映画だが、それでも1時間くらいに感じるのは、入り込めるからだろう。この映画の価値はこのあたりにある。