2009年5月29日金曜日

Movie: State of Play (2009)



 Although expression more than required is outstanding, this must be that it is "All the President's Men".

 思った以上に釘付けになる映画。所々で噴出する違和感は映画を面白くするための配慮と考えるならばある程度は納得できる一方で、かつての「All the President's Men」に近い緊迫感に繋げることを目論むならば相反するものと感じる。

 それでも綻んだ部分が気になって映画の進行を妨げるに至らないのは、やはりRussell Croweの存在感であることに間違いないだろう。

 「War, Inc.」でもパロディのネタになった戦争委託企業と政治家との接点の話にはどこか考えのベクトルを向ける先もなく流されてしまうが、日本ではよくある人気刑事もの映画にも相応する展開なので、人物像が明確になっている分、鑑賞のための頼みの綱を人物それぞれに置けば「その関連」が映画への関心を失わせない。

 最後の場面で思い起こしたのは、かつてのよき時代の映画の纏め方。そういえば、この映画、携帯電話は使われていても、不思議と20年~30年前の香りがあり、何か引き締まった感じがする。

2009年5月13日水曜日

Movie: Kung Fu Chefs (2009)


I wanted to look my eyes away of fulsome points like Jackie Chan style action. But it has unexpected amusement.

 かつて日本では高視聴率を獲得していた料理の鉄人と、香港のスター、Jackie Chanの古いコミカルなカンフーアクションを掛け合わせたこの映画。一人の有能な料理人の人生観を描くには必然性の無さが目立ち過ぎてしまい、結局、カンフーと料理のどっちにもウエイトが無くなってしまい、身内のイザコザを見ただけの雰囲気にしかならない。展開自体は無難と取れなくも無いが、人物表現が極端に飛び出しすぎているのが残念だ。

 日本のみならずアジアでも元モーニング娘。として名が知れたAi Kagoは(主流には戻れない立場ながら)不思議な神通力は感じられる。完全吹き替えであるから、評価は演技や表情に絞られるが、持ち前の笑顔で周りの役者と溶け込んでいるようで違和感が無いところは評価できる。むしろ(Cherrie Ying以上に)Sammo Hung Kam-BoやVanness Wuに似合った立場と言えるのではなかろうか。

 開水白菜。これは中華料理店のメニューで出会うことがあれば、是非、注文してみたい。

2009年5月12日火曜日

Movie: King Corn (2007)


whisky, bread, snack, soda, starch, fuel, material..... that's "corn".

 危機感を持つにはもってこいのドキュメンタリー。確かに家にある食品、シチューの素、ビール、インスタントコーヒー、これらの多くには原料の部分にコーンという名が記されている。

 アメリカや中国は大量消費国の典型であるため、流通や販売の効率を考えれば安く大量に生産できるものを多様に変化させ生活消費の主力にすることは仕方が無いことである。本来ならばその底辺に自然の流れを変えないような最低限のモラルがあって当然なのだが結果的には無視された形になっている。そんな点がこの映画では垣間見れる。

 変えられない流れ。中国の後を絶たないコピービジネスも同様であり、捕まえて捕まえても形を変えてそのパワーを増大させている。最早、モラルとかの問題ではなく、当事者にしてみれば生きるための支えがその部分にしか無いように見えるのだ。大きな国は隅々まで目が届かないだろう。日本にしてもそれを感じるくらいだから。ウィルス、ファーストフード、違法ビジネスなど、これらを瀬戸際で防戦してもあまり意味を成さない。

 この映画で一番ショックを受けたのは、ニューヨークのタクシードライバーの語る家族の糖尿病。冒頭で食べたものが髪に表れるという点と相成って、毎日の食生活には一層の注意が必要だと感じた。 ソーダにしても「悪い」ものとして片付けるのではなく、適切に扱えば生活も楽しくなるはず。問題なのはそれらに「依存」することだ。

2009年5月5日火曜日

Movie: Oppai Volley (2009)


Haruka Ayase attracts many people in this movie.

 着実に魅力を増しているHaruka Ayaseは、今回、色仕掛けともとれるネタに巻き込まれ、努力することから逸脱した中学生達の意欲を噴出させる。

 Haruka AyaseとOppai(= one of slang about female breast)との連結は、売り出し中の女優にとっては危険なジャンルともいえるが、この映画がそういった妄想感に固執させないのは背景と設定だろう。背景となる1979年は、新しい文化への転機だった雰囲気が伝わる。それに加えて日本の近代ドラマの下地を作ったスポ根(fireball story in sports)モノを2.5者的な視点で描いている部分があることで、これが面白く、笑いを持って展開を見守ることが出来き、肝心の筈だった妄想感はどこかへ飛ばされていることに気づく。そして、不思議と文芸作品のような纏めまで来ると「罠を知っていて掛かった奴」である自分を咎めることが出来ない。

 比較的ツッコミを入れたくなる点は、古すぎる公衆電話ボックス(この時代は既に透明なボックスではなかっただろうか。北九州戸畑がどうだったか?とは考えたくないが。)や、フラッシャー(a bicycle with electric direction indicator lamp)搭載の自転車とか、ペーストをたっぷりつける歯磨きなど。振り返れば、実におかしな点に執着していた時代だったと思う。
 

2009年5月4日月曜日

Movie: Gran Torino (2008)


When you abandoned a normal thought...


 「最近嫌な奴が多い」と感じたとき、自分の考えが外周と一線が引かれていることに気づきだす。守るべきもの、崩されるもの、その全てを受け入れなければならないワケだが、真意が見えないものばかりを相手にしているとたとえ隣人とはいえ堅固な扉を築く必要もでてくる。

 この映画で扱われている、人の歴史、人の心、人種偏見、カルチャーギャップ。今日、明日の自分は多くのどうしようもない世の中の形に引き摺られている絶望感をアメリカの異国人種の住む世界に置き換えて表現している。ここでは余計な脚色は不要。場面設定がかなり質素にして派手な場面は一切登場しない。

 ここ最近のClint EastwoodのスタイルにはPaul Haggisの例えば「Crash」のような遣る瀬無い部分を生かしながら、映画をそんな雰囲気に落とし込んでよいのかと守りに入るハリウッドスタイルとが共存した感じがあり、そういった部分は日本人に限らず、多くの人に受け入れられているのだと思う。いや、間違いなく日本の精神論的なコンテンツの影響も多いはずだ。特にアメリカ製コンテンツには存在しないヒロイズムに多角的な視点を投げかけた部分はこの映画でも生かされる。

 最後に主張するのは「Gran Trino」。人間の差を越えた憧れをあるべき形に変えて映画に幕を下ろす。