2013年9月22日日曜日

BD/DVD: The Master (2012)


 未だに皇帝の姿のJoaquin Phoenixのイメージがあると、ずいぶんと変貌した姿に対して、暫くは関心事がそちらに行ってしまったりする。もちろん彼主演のカントリー歌手の映画もあったのだが、どうしても起点が皇帝になってしまうのが自分の感覚なのである。
 うまい具合に彼のイメージに見合ったタイプの役所らしく、世界大戦を経て自分の居所が微妙な人物像が描かれている。どこか"Jarhead" のAnthonyの位置づけに近い空虚な空気感と繋げてみたくなる。この映画は、彼のような物理世界がある一方で、知り合ったカルト教団のような精神世界が交差していくような異様な世界観があり、それを同一の目線で観ていく必要がでてくるのだ。
 映画ではプロセッシングと呼んでいた尋問のような遣り取りは、時に暴力的であったり、優しさだったりする感情に敏感なもの。よくよく考えると、それは反論を許さない理屈という石を積み上げに他ならず、カタチにこそ拘りがあるのだろう。だが、その盤石な考えであっても立ち位置が変われば、弱みにもなりえる。だからこそJoaquin演じるFreddieの存在が生きている…という構図なのだ。

 なんだかんだあってもFreddieは下品でつまらない男として始終するため、この映画で彼が輝くことはない。共感することもなく、なにか時代の通過点を傍観するような映画に思える。

2013年9月16日月曜日

Movie: Yurusarezaru Mono :Unforgiven (2013)


 This is the remakes movie of Eastwood's "unforgiven(1992)".

  どうしてもオリジナル版との比較をすることになるので、正直に言えば、オリジナルを観ていないほうが面白くみれたのかもしれない。自分は「比較する」側になってしまったが、それはそれで楽しみ方も探り出せた。
 オリジナルはワイオミングを舞台にした西部劇であって野球の投手に例えれば速球趣向だったのだが、今回の日本版は緩急織り交ぜた投球術が見所という感じだ。
 確かにストーリー上での要所はオリジナルを尊重しているためか、かつての"Seven Samurai"と"The Magnificent Seven"ほどには差がなく、むしろ同じであることに戸惑う感じはする。しかし今回、オリジナルよりも2つの点で興味を抱かせる。ひとつはアイヌと倭人という関係上に展開させたこと。そしてもうひとつは日本刀だけでなく銃も使える時代背景を選んだことである。
 自然背景もあってか全体的によい感じでは作られた映画だと思うのだが、やや気になるのが終盤の窮屈な展開。特に女郎からKingoの死を聞いてからの人物と人物、場所と場所の距離感が単調になってしまった気がする。更には戦いの場面ではそこら辺りにあるアクション映画の一場面に成り下がった感じがした。もちろんオリジナルへの敬意も有ると思うが、緊迫感がもっと出せたのではなかろうか。


 若い頃の映画を観ていたからか、Yuya Yagiraの変貌っぷりは驚きでもあった。


2013年9月7日土曜日

Movie: Anohana: The Flower We Saw That Day (2013)


Ano Hi Mita Hana no Namae wo Bokutachi wa Mada Shiranai.

 公開スクリーン数が少ないのに週間ランキング三位というアニメ映画。
 この映画は二年前のテレビシリーズから火がつき、秩父や西武といった地域や企業も巻きこんで現在でもかなりの人気を誇っている友情物語の劇場化である。
  今回、テレビのタイムラインに加えて再び五人がMemmaのために集まり、すべての時間軸を使ってエピソードのパスやドリブル的手法にてゴールに向かう感覚の展開。勿論、テレビで観た場面も多々でてくるが、思い出の中の切り抜きとして扱われるので、テレビの再現という印象にはならない。一方、大人に近づく五人の大人になりきれない感傷のほうが痛々しく映るためか、テレビシリーズの素直さが、今回は違和感も連れてくる。初めてこの映画を見た人は、意外にもその「大人になりきれない子ども」の滑稽さを指摘するかもしれない。
 やはりテレビシリーズを見ておく方がイメージが暴走しないでうまく収まりそうだ。

 舞台劇をアニメにしたような演出はやはり本作品の持ち味なのだろう。

2013年9月5日木曜日

Movie: Man of Steel (2013)


冒頭のクリプトン星の場面あたりのインパクトは良かった。ただ個人的に地球での展開がなにかコラージュ的手法も相まって
自分の頭が理解しようとするほうへ作用しだしたのが気になる。おそらくは今までのClark Kentのイメージから
かけ離れた主役が登場したことが一つ目の理由。もうひとつはビルを破壊しまくるバトルシーンが物語りの質を貶めているからかもしれない。
 今回は黒ぶちメガネのClark Kentが誕生するまで的な内容なので、今まで我々が観てきた通常のSuperman物語を逆再生するかのような
ところがどうも心に響かなかった。

 さて、古典的アメリカンヒーローの位置づけがここまで変化すべきかは議論の余地がある。TVシリーズのSupermanは都市犯罪、救助活動などに
特化したヒーローだった筈だが、「クリプトン星人である」という設定がこれまでの現実感覚とSF度の対比が9:1くらいだったのが5:5くらいにまで
なってきた。Christopher Reeve主演以降のシリーズはそんな感じだった。そして今では規模と時空設定をも超越したSF度による2:8くらいにまで
現実感が薄れている。やはり裏事情は秘密のままヒーロー像だけを映画にするほうがいいと思うのだが如何なものだろう。

 ビルを破壊しまくるVFXは最早凄くもなんともない。できればストーリーと味のある場面で魅せて欲しかった。

 面白いところはDiane Laneのようなかつてのイメージキャラクターが出ていること。