未だに皇帝の姿のJoaquin Phoenixのイメージがあると、ずいぶんと変貌した姿に対して、暫くは関心事がそちらに行ってしまったりする。もちろん彼主演のカントリー歌手の映画もあったのだが、どうしても起点が皇帝になってしまうのが自分の感覚なのである。
うまい具合に彼のイメージに見合ったタイプの役所らしく、世界大戦を経て自分の居所が微妙な人物像が描かれている。どこか"Jarhead" のAnthonyの位置づけに近い空虚な空気感と繋げてみたくなる。この映画は、彼のような物理世界がある一方で、知り合ったカルト教団のような精神世界が交差していくような異様な世界観があり、それを同一の目線で観ていく必要がでてくるのだ。
映画ではプロセッシングと呼んでいた尋問のような遣り取りは、時に暴力的であったり、優しさだったりする感情に敏感なもの。よくよく考えると、それは反論を許さない理屈という石を積み上げに他ならず、カタチにこそ拘りがあるのだろう。だが、その盤石な考えであっても立ち位置が変われば、弱みにもなりえる。だからこそJoaquin演じるFreddieの存在が生きている…という構図なのだ。
なんだかんだあってもFreddieは下品でつまらない男として始終するため、この映画で彼が輝くことはない。共感することもなく、なにか時代の通過点を傍観するような映画に思える。