2011年11月22日火曜日

Movie: Moneyball (2011)


「もしドラ」よろしくセオリーの実現に挑む実話なのだが、もしこれが現実と一致する内容ならば、かなりアメリカ的ビジネスに無慈悲なところを感じざるを得ない。もちろんその逆もあるのだが、他人の気持ちに入り込みやすい日本人からはキツイ場面が展開される。それでもDamon、Giambi、Penaなどリアルな名前が登場すると、映画の脚本云々で観る映画とは違う聖域のようなものも感じしまう。この映画は、一般的なドラマ性とはなにか違うところの世界観によって面白さが構築されている。もちろんその立役者はBrad Pittの演技に他ならない。往年のRobert Redfordをイメージしてしまうから不思議だ。

 一番の疑問なのが、なぜスタッフの拘る経験の世界と、新たなるデータ野球の世界を共存させる意見にたどり着かないのか...という部分。自分にしてみればどちらも同じ線上にあると思うのだが。なにか納得できない部分を残したのだが、面白い映画であったことは間違いない。

 松井秀もこの映画の中のトレード選手と同様の位置づけなのだと思うと、今年活躍できなかった点が悔しくも思える。


Movie: George Harrison: Living in the Material World (2011)


Georgeの十回忌に合わせたように日本で劇場公開となった。チケット代が異例。3Dを上回り、窓口正規価格2,500円。3時間半にわたる、パート1、パート2に分かれた大作扱いな上映となっている。

監督がMartin Scorseseということもあり期待はできた。ただ、見終わって思ったのは、この映画を生い立ちのようなドキュメンタリーにすべきではなかったのでは?とう部分。確かに生い立ちを入れなければ「不可解」な映画になりかねないのだろうが、期待したScorseseである点が薄れている感がある。この作品をもし、スピリチュアルで、かつ物質世界への風刺を込めた点などをもっとクローズアップすれば、The Beatles時代からのファンは泣いて喜びそう。確かにその反面、Georgeという人物像を描ききれない雰囲気のある微妙な3時間半。

作品には、ロックシーンの友人だけなく、Eric Idle、Terry Gilliam、Jackie Stewartといった人物との接点も描かれて興味深かった。

それから、タイトルチューンとなるべき曲、「Living in the Material World」は流されなかったが、自分としてはちょっとでも流して欲しかった。


2011年11月14日月曜日

Movie: Immortals(3D) (2011)


現在全米でトップ興行映画である本作を観た。神話ベースのアクションもの。自分としてはB級臭をぷんぷん漂わせる作品への抵抗は強烈だったし、3Dということもあって、最も違和感のあるジャンルに臨んだのは理由がある。単純に「他よりまし」という理由だったから。それほど地方で鑑賞する映画の選択肢は書店で探すべき本をコンビニで探すレベルの例えでわかるだろうか。

 全く期待もしておらず、マットペイントも平面チックで、CGもありふれたものという前提で観始めた。案の定、その流れであることは間違いないが、意外にも(この手の作品にありがちな)下品な表現は控えられており、ストーリーもすんなりと入ってきた。「300」に好印象を持っていた人なら受け入れやすいのかもしれない。Eiko Ishiokaさんのコスチュームも然り。全体的に良い感触で見終わることが出来た。

 ただ、この作品に3Dで観る価値はあまり感じられない。というか、3Dの意味自体が良く分からなくなってきた。


2011年11月7日月曜日

BD/DVD: Cold Fish (Tsumetai nettaigyo)(2010)


田舎だと公開しない映画の部類である。このタイミングでDVDで観るのは、色々と捻じ曲げられている要素があるので正等な感想にはなりそうもないが、まず、飽きなしでストレートに観れる映画であることは間違いない。

この映画の良さはでんでん(Denden)演じる犯行者の素人臭さと勢いで遣りこなしている演技。そしてそれに連鎖している周囲の人物像の漂わせる空気にあると思う。キャスティングと場面の背景、さらに緊張を齎す映画の世界観が、この多くを支えている。

ただし、問題点もある。かつてのATG映画のように心理的に引き摺られるようなリアリティが欠落しているために、アクションサスペンス風の映画の見方にチェンジしてしまうのだ。「告白」でも感じたのだが、遣りすぎにする演出は「カネがかかっているのか?」と疑いたくなった、あの感じ。もちろん脚色も映画の世界なので、脚色を楽しむべきなのだが、リアリティが離れてしまうと「しょせん作り話」という感覚が露出したのであった。

今一度考え直すべきが「良い映画」と「過剰な演出」と「リアリティ」のエレメントの配置である。

邦題「冷たい熱帯魚」