2012年3月25日日曜日

Movie: Star Wars: Episode I - The Phantom Menace [3D] (2012)


日曜日の昼に鑑賞するのはギャンブル。子供連れが多いこともありポップコーン零して騒いだり、ザワザワした雰囲気でやや気を抜かれた。

 さて、十数年ぶりに劇場で鑑賞。今回は3Dになって帰ってきた。3Dで鑑賞する場合、背景のマットペイントが平面的だったりするとかなり違和感が生じるのだが、今回はそれよりも2Dから起こしている部分の確認で懸命。ときおり3D眼鏡を外しながらどの場面に効果を強調したのかをチェック。立体化への半端ではない技を見た気がした。

 Star Warsは77年に公開されて以来、35年近く話題性を絶やすことなく進化しているシリーズで、デジタル化や3D影像など今でも十分「新しさ」を持って見れる映画なのだが、流石に小学生に見せたとしても話の理解までは十分行き着くことは困難だと思える。しかし近年の宇宙ものアニメを切欠にしてこの物語の相関関係を引用したと気づくかもしれない。我々もこのシリーズを年を重ね何度も繰り返し観ながらともに成長してきた。3D化もその断片でしかないわけで、自分もまた目的を絞りつつ新たなるStar Warsに着目して行こうと思う。

 今まで確認できていなかったETの出演場面をはじめて確認できた。確かに居た。最後あたりでは、もう3Dの必要性はどうでもよくなってきたのだった。



2012年3月21日水曜日

Movie: The Iron Lady (2011)


税をはじめ諸問題を抱えていた英国において、当時パンク、ニューウェイブの波とともにマーガレット・サッチャーはとても有名な人物として記憶に残った。

  この作品はタイムラインを輪切りにしてアルバムのように一目で見れるようにした演出。

 今の経済危機を乗り切るヒントを提示しているかのように、逆境に負けない、燃え尽きるまで戦う姿勢を現実の歴史ドラマとして首相だった約10年ではあるが激動の時代を描くには十分過ぎる人物だけに、何か違和感のある冒頭の場面とか、たまに訪れるふわふわタイムな場面が裏表の差を取り払う目的だったのかもしれない。だが、そういう目で見たとしても、いまひとつ歴史的な人物像が見えてこなかった。

 確かに不景気と暴動、IRA関連のテロ事件、フォークランド紛争など80年代におこった英国の事件を取り上げつつマギー・サッチャーという人物像の直面してきた雰囲気作りをしているのだが、いずれも「現実と回顧と幻影の狭間」のファンタジーに似た作風のせいか、結果、「ひとりの女性議員」止まりの描き方に思えた。

 やはり本音を言えばこの映画はMeryl Streepの演技を見る映画であって、決してストーリーに感動する映画ではないのだろう。


Movie: Hugo(2011)


「ヒューゴの不思議な発明」??。このタイトルは絶対誤解を招くと思う。最近では残念すぎる邦題の映画。

 Marie Georgesの功績を讃えるための映画だと思うが、序盤はまったくそれを感じさせない流れ、その多くの部分はまるで60年代のミュージカルの背景をも連想させる。実際、流れの要素のひとつひとつは他愛も無い場面の連続である反面、その他愛も無さを興味の対象に変えているところが素晴らしい。

 後半からは、本題となるMarie Georgesの過去が明かされる。よくよく考えるとバスター・キートンやチャーリー・チャップリンをも遡る月世界旅行の影像世界に引き込もうとする切欠が機械人形であり、邦題が「不思議な発明」とくる中で、事前にイメージを膨らませて映画を鑑賞すると焦点ボケになるかもしれない。例えば機械人形の不思議な動作とGeorges作品との接点をうまく解決すれば更に良くなったのでは....と思う。

 いろいろと感想はあるが、実のポイントはこれだけデジタル化して無機物化したかのような現代の映画ビジネスにおいて、アカデミー賞で高評価となった「The Artist」同様に映画史を振り返り「人間味のある良い部分は残しておこう」というメッセージが伝わるようだ。


2012年3月5日月曜日

Movie: War Horse(2011)


この映画を観て、何本の昔の映画を思い出しただろうか? 自分の場合は「The Wizard of Oz」、「gone with the wind」などで。Spielbergの手腕以前に、彼が昔の映画を如何に愛していたかが分かる表現方法がとられている....実にクリエーティブな楽しみ方ができた。本作品のベースはシリアスである、馬の表現でもわかるとおり、妥協を許さない繊細な部分が影像化されており、これ、「日本では絶対にできないだろうな」と確信せざるをえない。そこには民族的な部分もあるかもしれない。ただ本音はシリアルベースの物語の間にとんでもないファンタジーが顔を出すところも含めて...「できない」と思ったのであった。有刺鉄線をカッターで切る部分あたりが特に...。「Schindler's List」にも無論あった。突然に観る側の緊張を解き放ち、核融合を起こすかように別の感情が生まれてくる瞬間。これこそがSpielberg映画なのだろう。

 ただ、腑に落ちない部分もある。「奇跡の馬」とだけ聞かされたAlbertがなぜ自分の馬と確信できたのか?...とか。なにかもうひとつキーワードが欲しかった。

 邦題「戦火の馬」。映画の中で塹壕を挟んで鉄条網に絡まり喘ぐ馬の場面がある。ここではPaul McCartneyのPV"Pipes of Peace"や映画「Joyeux Noël」におけるクリスマス休戦の場面を思い出させるシーン。今回はクリスマスではなく馬。その裏では命令に背いた罰として銃殺される場面がある。馬の銃殺から手当てに変わる場面を含めていろいろな場面で空気はいつ変わるかわからない時代だったこと。これはストーリーを楽しむ上で重要だったと思う。