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I've been thinking Japanese Hokuriku region has too much snow. But it does not seem to be so at all. Car Museum. A hot spring. Cliff. The highlight is too many.
北陸に行った。
島根から車で約5時間前後。我々4人は仕事を終えた夜から出発した。米子道、中国道、名神道を経由し北陸道へ合流し深夜に福井市に着く。最初は健康ランドで簡単な宿泊をするつもりだったが、長いドライブのせいかシングルルームが必要だった。
二日目は朝から、ガラス博物館、自動車博物館と博物館めぐりとなった。昼はラーメン。なかなかな雰囲気だった。午後は東尋坊へ。かつて一度行ったことがあったのだが、こんなに晴天で人が多いと別の印象を受ける。
夜は加賀の旅館へ。蟹の料理がうまかったが、やや量が多く腹が膨れすぎたため動けなくなった。夜10時から近くの飲み屋へ、地元の女性達と会話で深夜過ぎまで過ごした。
最終日は雨。まず元気村というところで戦艦三笠の撮影セットを見る。なぜか(帰る前の最後の観光場所)丸岡城には雨が似合っていたりする。日本最古は伊達ではない。
なかなか楽しい旅だった。
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2010年1月28日木曜日
2010年1月11日月曜日
Movie: Whip It (2009)
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I remember the golden age of roller game show on japanese TV.
米国では10数年前に復活を遂げたとされているローラーゲーム(Roller Derby)。懐かしくもこのテーマを取り上げた映画がDrew Barrymoreの手によって作品化された。
この映画の中でもわかりやすくルールを説明しているのだが、ローラーゲームは各チームのジャマー(ひとり)がトラックを先に周回し敵のブロッカーを抜き去りポイントを得るゲーム。数十年前は東京ボンバースの中継もやっていたほど一部で人気があった。1972年には映画「Kansas City Bomber」というRaquel Welch主演の映画もあったし、その後では近未来志向の「Rollerball」のようなフットボールやオートレースとミックスアップしたドラマもあった。
この映画では「Juno」のEllen Pageが主演で、Babe RuthならぬBabe Ruthlessで登場する(敵選手もIron Maden ならぬIron Maven)。ゲーム場面ではLeg Whipなる技がでると映画云々より昔このゲームに熱中していた時代を思い出すことで頭が一杯になる。この映画の時代背景はインターネットやGPSなどがあることから2000年前後と想像するが、舞台がテキサスの田舎町だからか古さ感は逆方向に加速。しかもWhitney Houstonの曲やThe Ramones、'38 Specialの曲がそれを確定付けるのだ。だがそれもまた良い効果である。近年の経済不況の時代においてこの映画で何か必要なものを思い出させてくれた感じがした。そういった意味でDrew Barrymoreは良い仕事をしたと思う。
後半のいざこざは比較的シリアスなものではないにしろ、面白い場面展開には欠かせない要素として巧く絡めている。自分としてはビール片手にフットボールにはまる親父さんの立ち位置がなかなかオイシイと思った。
まだ子供っぽさを残したEllen Pageなのだが、プールで見せる水着の場面は大人っぽく感じた。
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I remember the golden age of roller game show on japanese TV.
米国では10数年前に復活を遂げたとされているローラーゲーム(Roller Derby)。懐かしくもこのテーマを取り上げた映画がDrew Barrymoreの手によって作品化された。
この映画の中でもわかりやすくルールを説明しているのだが、ローラーゲームは各チームのジャマー(ひとり)がトラックを先に周回し敵のブロッカーを抜き去りポイントを得るゲーム。数十年前は東京ボンバースの中継もやっていたほど一部で人気があった。1972年には映画「Kansas City Bomber」というRaquel Welch主演の映画もあったし、その後では近未来志向の「Rollerball」のようなフットボールやオートレースとミックスアップしたドラマもあった。
この映画では「Juno」のEllen Pageが主演で、Babe RuthならぬBabe Ruthlessで登場する(敵選手もIron Maden ならぬIron Maven)。ゲーム場面ではLeg Whipなる技がでると映画云々より昔このゲームに熱中していた時代を思い出すことで頭が一杯になる。この映画の時代背景はインターネットやGPSなどがあることから2000年前後と想像するが、舞台がテキサスの田舎町だからか古さ感は逆方向に加速。しかもWhitney Houstonの曲やThe Ramones、'38 Specialの曲がそれを確定付けるのだ。だがそれもまた良い効果である。近年の経済不況の時代においてこの映画で何か必要なものを思い出させてくれた感じがした。そういった意味でDrew Barrymoreは良い仕事をしたと思う。
後半のいざこざは比較的シリアスなものではないにしろ、面白い場面展開には欠かせない要素として巧く絡めている。自分としてはビール片手にフットボールにはまる親父さんの立ち位置がなかなかオイシイと思った。
まだ子供っぽさを残したEllen Pageなのだが、プールで見せる水着の場面は大人っぽく感じた。
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Movie Avatar -3D- (2009)
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Wow!
3D版で鑑賞した。3DにしてみたらやっぱりR.Deanの世界観が増す。XpanD-3Dシステムは、かつてディズニーランドで見たMichael Jacksonの「Captain E.O.」の頃から比べると確実に立体感覚が向上されていると思える。
無理やりにでも違和感を指摘するとしたら、近景の立体度が増すとマットペイント部が逆に平面的に感じる度合いが増してしまったことだろうか、こういう部分を気にする人には3Dはオススメできない。
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関連記事 Movie: Avatar (2009)
Wow!
3D版で鑑賞した。3DにしてみたらやっぱりR.Deanの世界観が増す。XpanD-3Dシステムは、かつてディズニーランドで見たMichael Jacksonの「Captain E.O.」の頃から比べると確実に立体感覚が向上されていると思える。
無理やりにでも違和感を指摘するとしたら、近景の立体度が増すとマットペイント部が逆に平面的に感じる度合いが増してしまったことだろうか、こういう部分を気にする人には3Dはオススメできない。
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2010年1月6日水曜日
Movie: Katyn (2007)
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What of the genocide do you blame? A scale? An idea in the country? A historical backdrop? Or persons in charge? ...(As if) is this a comparable thing?
Andrzej Wajdaの強調句で纏められた作品。こういった手法を体感するのも久しぶりだ。特筆する点として、以前よりあまり映画にはされていないソ連の「曲者振り」が強調される。'30~'40における欧州時勢においてはどうしてもナチス党支配と侵攻に視点が及ぶのだが、この映画では1939年よりドイツとソ連両国から侵攻を受けていた時代の屈辱がWajda監督の人物表現あたりから染み出してくる。つまりポーランド人にとってドイツもソ連も大して差が無い受け止め方だったのかもしれない。場面から拾い上げれば、ドイツ侵攻から逃げるようにクラクフから去る人々。しかし向かう方向からはソ連侵攻を伝えつつ引き返すように言う人がやってく...この辺りだ。この行き場の無い状況こそがこの映画の底辺に根付くのだ。
この映画の中盤のほとんどは安否の情報と言論との交錯が主体で描かれる。ソ連の衛星国となったポーランドにおいて色々な場面で人々の不幸な場面に出くわすのだが、こういったシーンの描き方も実に序盤を生かした展開といえる。本来ならば謎を残した終幕にしても不思議ではないところなのだが、Wajda監督は怯むことなく強調して描いた。カメラのアングルも不気味なくらいだ。
この映画を見て、いったいどうして?誰が?と疑問を持つ前に「必然」に歯向かってきた人間の行いに対して深く反省しなければならないとも思った。
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What of the genocide do you blame? A scale? An idea in the country? A historical backdrop? Or persons in charge? ...(As if) is this a comparable thing?
Andrzej Wajdaの強調句で纏められた作品。こういった手法を体感するのも久しぶりだ。特筆する点として、以前よりあまり映画にはされていないソ連の「曲者振り」が強調される。'30~'40における欧州時勢においてはどうしてもナチス党支配と侵攻に視点が及ぶのだが、この映画では1939年よりドイツとソ連両国から侵攻を受けていた時代の屈辱がWajda監督の人物表現あたりから染み出してくる。つまりポーランド人にとってドイツもソ連も大して差が無い受け止め方だったのかもしれない。場面から拾い上げれば、ドイツ侵攻から逃げるようにクラクフから去る人々。しかし向かう方向からはソ連侵攻を伝えつつ引き返すように言う人がやってく...この辺りだ。この行き場の無い状況こそがこの映画の底辺に根付くのだ。
この映画の中盤のほとんどは安否の情報と言論との交錯が主体で描かれる。ソ連の衛星国となったポーランドにおいて色々な場面で人々の不幸な場面に出くわすのだが、こういったシーンの描き方も実に序盤を生かした展開といえる。本来ならば謎を残した終幕にしても不思議ではないところなのだが、Wajda監督は怯むことなく強調して描いた。カメラのアングルも不気味なくらいだ。
この映画を見て、いったいどうして?誰が?と疑問を持つ前に「必然」に歯向かってきた人間の行いに対して深く反省しなければならないとも思った。
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