2014年12月15日月曜日

Movie: Gone Girl (2014)


 一般的なサスペンスを装った表側と、まるでDavid Lynch作品を呼び起こす猟奇的な怪しさとが競い合い、やがては片方が他方に飲み込まれていくと例えたいマインドバトルストーリーでもある。

 これは普通のアメリカ映画に良くある背景を下地におきながら、実は奇妙な設定が至る所で見て取れる不思議な世界観がある。それはアナログとデジタルの不釣合いな存在とか、部屋の空間が冷たく感じる一方で、他人との距離がやたら近かったりするなどの設定のことである。実におどろおろどしい。これにより見る側を用心深くさせるのだ。

 映画のテーマはなんだったのか?。思うに愛だの平和だの…と口でいうものの、実は人間の奥にある「それらと対峙するもの」について、こういった形で表現したのではないのかと推測したりする。

 また気になったのが、マスコミの勝手な取り上げ方。手のひら返しのような流れは印象に残る。例えば「悪いことでも正直に語れば人々の賛同をえる」などの下り。よく考えれば、それが真実でなくても多数からの賛同さえあれば「悪でも善にかわる」的な偏った言い回しっぽくあり、怖いものを感じた。

 Rosamund Pikeの演技が好きだ。

2014年12月8日月曜日

Movie: Fury (2014)


 今にすれば「Private Ryan」や「Band of Brothers」はヨーロッパ戦線を描いたベンチマーク的な映画と言ってもいいかもしれない。今回は戦車VS戦車のアクションが見物という噂もあり、どちらかとえいば、史実+リアル表現よりも70年代に流行した戦争アクションに近いものと想像していた。
 しかし実際は、観ているうちに「The Poseidon Adventure」の印象が脳裏に入り込んで来てしまい、戦争ものというよりも脱出ゲームのような感覚で観てしまった。

 ストーリーを動かす2つの会話の場面がある。最初はテーブルを囲む場面。ここではそれぞれの人物像が浮き彫りになる。ドイツの女性が無情に殺されるのか?という心配も、ここでは些細な事として追いやられる。次は十字路でスタックした戦車の側での会話。先ほどのテーブルの会話では明確に出せなかった答えをここで出すようでもあり、同時に向かえる夜がその心理を代弁している雰囲気を出す。この映画、ベタなストーリー展開に思いがちだが、小技が色々効いている。

 つまり、猛獣の檻に入れられた場面で「平和説法」が通じるかという疑問に近いものがあり、無論、人間がやっていることなのだが、人間だからやらざるを得ない不条理の構造がここにある感じを受けた。

 戦車同士の対決は4対1で数では有利の中で、3両を失うほどの苦戦。この場面によってこの映画が描こうとする制圧が如何に難しいのかの表現にもなっておりなかなか面白かったし、一番だったのは、弾道がレーザー砲のように映される部分。これまでの戦争の怖さ以上の現実と非現実の境の言わばラグランジュ点のような印象だった。

2014年12月1日月曜日

Movie: Parasyte(Kiseiju): Part 1 (2014)


原作とは敢えて異なる作風にすることが間違っているとは思わない。事実過去にも同様のものは多く存在しているし、評価を上げたものだってある。ただ自分の場合は、ほぼ同時期にやっているアニメと、この映画との雰囲気違いを正当化する要素が見当たらないのだ。例えばそれは眼鏡だとか彼女の性格だとか、新一の家庭環境もそうだ。だからなのか、「寄生獣」をアニメにしろ映画にしろ多角展開するのは、現代の人間の置かれた立場に恐怖の方法論で警鐘を鳴らす意味だけが抜き出されてしまった感が否めない。

 ただ、事前の知識さえなければ「バトルロワイヤル」的なスリルを持って見ることは可能だ。決してA級ではないが週末のホラーとしては、その役目を果たしてくれるに違いない。新一の粗雑な振る舞いに比べ、ミギーが意外と安心感を与える存在になっているところは、ある意味定石を覆すようでいいのだろう。しかしやはりアニメでの新一の弱弱しさとミギーの心強さのバランスが自分の脳裏ではメインルートである。

 近年、映像技術の進歩によってクリーチャーものもリアルに近づいているとは思う。しかしそんな中にあっても昔の「遊星からの物体X」「エイリアン」などを超える革新的なものには出会っていない。そこには音や映像意外の何かがあるからだと思う。まだまだ今の映画にはビジネス上の予算だとか妥協だとかいろんな言葉が絡み付いている気がするのだ。