尾道で生まれ育った家族らしく、言葉遣いがどことなく懐かしい。Haruko Sugimuraは広島出身だからか、最も昔よくいた人っぽく振舞われる。
映画は通常衣服等で季節感が出るが、取り立てて注目すべき部分ではないが、この映画では始終うちわが使われる。この表現が実に場面に引き込まれる効果を十二分に果たしている。
興味があったのが、風景を映す場面に登場する黒煙を吐く煙突。これば当時として一般の風景だったのだろうか、今では恐ろしく感じる表現に映る…。
Chishu Ryuの「いやー」から始まるお決まりのセリフ。喜怒哀楽の様々な場面に拘らずに使われる。ここでこの中心人物の人柄を明確に表しており、いままでの家族の記録を代弁しているかのようだった。
Setsuko Haraのアパートで見られた貸借りのある生活。これは「An Autumn Afternoon」で登場する場面とも共通点があり、生活の様々な形がさりげなく語られている。どうしてなのか地位と裕福さの反比例的な印象も受けるのであった。
戦後10年も経っていない銀座の街並み。日本の復興力というのはこの時代が最も端的であり、今の復興ベクトルは様々な意見対立や損得勘定が壁となり前進できない感じと比べてみると実に感慨深い。
総括すると、この映画は、冷たくもあり、暖かくもある時代の変わり目の一コマである。子供が駄々を捏ねられるくらいの余裕ある生活が広がりつつある時代になる、その一方で、依然、昔を装う親世代との差は今に置き換えると、人間のもつ本来の能力を削っても「楽」や「便利」を求める程の良い技術革新社会と、必然性から生まれた職人気質との差と言えなくもない。正に未来を暗示させる映画である。
このサイトでの評価を例に出すまでもなく、とにかく世界での評価が高い。この映画の着目点も、時代に沿って変化しつつあるのかもしれない。