2016年5月1日日曜日

Movie: Spotlight (2015)


 一言でいうと、とんでもないテーマを扱った映画である。かつての映画「All the President's Men」のような展開を予想しつつ見ていたが、ポイントはそこではなかった。この映画で唯一不満な部分として、児童虐待の歴史的な側面を省いていたことである。だから、映画が終わって「なぜ?」という疑問を残した点は、「良い映画」という感想をかなり薄めさせた。
 映画では、司祭とその家族関係、被害者の意見がかなり重要なシーンになる。つまり、なぜこれだけの人数が同じような虐待を(国を超え、時代を超えて)行われていたのかという点を仄めかすシーンのことである。映画ではおそらく、そのあたりを画的にうまく表現しているのだと思うが、自分にとっては不十分感でしかなかった。それでも興味を抱かせたという点では見て満足な映画なのだろう。

 例えばBABYMETALを好きだと公言すると、海外の一部から「paedophilia」として軽視される。日本では(たぶん)理解できないことである。しかしこの「paedophilia」根っこは古くからあるカトリック教会のしきたり的に根付いていたものらしい。「化物語」の戦場ヶ原の過去のような悪魔祓い的なのものか、または独身司祭に与えられた暗黙のしきたりなのか、虐待を受けた側がやがて司祭となりそれを繰り返す連鎖的なものなのか、いずれにしても人里離れた村の慣習のようなものと捉えているのだが、そういった慣習も時代と人権意識の変化により「許されないもの」として近年、取り上げられたのだと思う。日本でも一部の地域では法を無視した慣習が残っているケースもあるので、一概に「悪」と否定はできない。多分に日本の捕鯨問題に通じるものがあるかもしれない。加えて、これに関して差別問題も関連してくる。カトリックの性的虐待の被害者には男性が多く占めているらしい。女性はインドのように差別的に扱われているとか。いずれも今起こった問題ではなく、何世紀も遡らないと理解できない問題のようだ。

 近年、過激派のイスラム教徒を批判する流れがある。だが、今回の映画を受けて、キリスト教も形は違えども類似した要素を持っていることがわかった。他の宗教だって大きな違いが無い筈だ。いままでの世の中「正、不正は別として、多数派の意見が時代を作ってきた」ことを再認識した。