2009年9月21日月曜日

Movie: District 9 (2009)


Exility causes exility... A delicate story.

 ウルトラマンのバルタン星人が頭に浮かんでしまった。ただこっちは限りなく海老。ウルトラマンならずともいろんな映画にイメージが重なる。何だろう...まずは「Black Hawk Down」かな。ライブ感覚とアフリカを舞台にした介入戦という意味では近いものあったし、SF的という点では「Starship Troopers」的な部分も。そのほか「robocop」とか「Transformers」...色々と思い浮かぶ。

 マグリットの絵画のように浮かぶ宇宙船。これは異星人難民を受け入れる南アフリカの居住区で起こる出来事を描いたSF映画。物語の芯となるのはMNUという異星人管理をする会社で現場を見るWikusが、居住区を伺っているときに受けた感染により次第に異星人化していくスリリングな展開部分。ちょっとグロい部分もあるので要注意。

 最初、インタビューなどを交えたライブ感ある映像にありながら、海老異星人の登場によるギャップに戸惑っていたのだが、最後に思ったのがなんだか現代の複雑な問題点を全て含んでいるような映画だと感じた。地球上の人種、政治問題に異星人を絡める部分は現代病そのままだが、逆説的に人間の理不尽な部分を最後には異星人とWikusの繋がる部分を持ってくる点や、Sharlto Copleyのキャラも何かそれに呼応しているのでは...と思えたのだ。

 ところでWikusが武器を欲する場面でAK47(カラシニコフ)と言っているが、日本のAKB48はこれと関係ないのだろうか。

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2009年9月9日水曜日

Movie: Taken (2008)


If there is implacability, a common knowledge can be overturned.

 集客数を増すために公開のタイミングを計るらしい日本では、この映画、なんとフランスより1年半遅れの公開。もうLuc BessonとかLiam Neesonの名前、あるいはこの意外なバイオレンスの内容だけでは集客力無い...と考えられているのだろうか。harry potterなどは別としても、近年は宣伝会社を通して「これは絶対にウケル!」という自信だけで持ち上げる作品は皆無。皮算用の結果としての現実がある。地方のシネコンは良い例であり、夏は例年のように子供向け作品に期待作が追い出されてしまう。「3:10 to Yuma」などは2年も遅れての公開。こうまで遅いと「レンタルでもいいか...」みたいな気分が身体に充満するのだ。こんな日本映画ビジネスの思惑に背を向けたくなる自分だが、日本に居る以上抵抗できないのも現実。

 この映画は、「Schindler's List」で名を上げたLiam Neesonが、あの映画から15年経て演じる役柄にも期待が及んだ。雰囲気そんなに歳をとったような感じは無い。弱者を救うテーマとしては同じ視点で観れるが、今回の彼の行動は異常にも取れた。インパクトは次の言葉に集約できる。「躊躇なき」「容赦なき」...Liam Neeson演じるBryanの前歴は深々と語られないのだがそこはBryanが観客に与えるRamboや「Death Wish」のPaulのようなイメージだけで全てを語ってくれるような感じ。

 最後まで娘のリアクションが乾いた感覚を貫く。Bryanの内心とは天地もの差がある。それでも家族というテーマを掲げたようなこの映画により、アルバニア系の悪党どもよりもむしろ現代社会との歪と対決しなければならない面を多く打ち出した。


2009年9月7日月曜日

Movie: The Taking of Pelham 1 2 3 (2009)



This movie become a bad one if you look with eyes of the doubt. But if you change mind, you find out many good points.

 当初、日本でのタイトルがリメイクの原版と同じく「サブウェイ・パニック」になると聞いていた(あまり賛成ではなかった)。ところが実際は「サブウェイ123激突」というなんだか迷いのあるまま付けたようなタイトルになり、良かったのか悪かったのか...。本来、原題はかなりクールなのだが。噂の段階ではDenzel WashingtonがかつてのWalter Matthauの役を演じて、John TravoltaがRobert Shawを演じるとされていた。ただ、あの独特の変装は無いそうだ。実際鑑賞するとイメージはかなり違う。Robert Shawの冷静なイメージとJohn Travoltaの逆上するイメージは微妙に異なる。こうなってくるとリメイクという先入観は不要。だからか旧作との比較なんぞ言語道断...と思えてきた。今回の映画、これはこれで良さがある。例えば、職務に就く人間のレイヤ構造。現場を知らない管理職の図式が明示されている分、面白くもあり、可笑しくもある。

 ただ単にスリリングなアクションとして終わらなかったのがWashingtonやTravoltaの力ある演技。なんとも良いコントラストではないか。この二人の背後には(設定的に)空気の合わない脇役が多数存在するのも構図をひき立てる。

 注視したセンスのある会話としてはGarberの妻が「1ガロンの牛乳を買って帰って!」と言うの対し、「ハーフガロンにしよう」というGarber。この掛け合いは妙に物語に意味を持たせる。それから事件解決後もGarberが最後まで地下鉄を使って帰ることに拘る点は、先に書いた現場と管理側の図式の結論付けた部分だと思った。



Movie: 20-seiki shonen: Saishu-sho - Bokura no hata (2009)



It is a good point!! The music is provident. The religion is non-provident. A only non-provident world should be fallen.

 20世紀は今となっては玉手箱。特に日本万国博覧会の開催された時代には政治、文化、事件などで今とは異なる波が押し寄せていた。この映画の背後にはグラムロックの特徴としたフェミニン・ボーイの置かれた立場が起爆剤となっている錯覚を受ける。そう、最後に登場する少年(Ryunosuke)に、やたらMarc Bolanのイメージが被った。

 この手の映画、ある程度固執して鑑賞しなければ、過去の登場人物が欠け落ちてしまう。個人的にはそこまで気を使いたくない。