2009年7月20日月曜日

Movie: Harry Potter and the Half-Blood Prince (2009)


Draco Malfoy who grew up looks like Anakin Skywalker in some sences.

 最初の作品から8年の年月が経つ6作目。1~2年毎に公開されてきた為か、「成長」が障害には感じられない。いや、心にそう念じていたのかもしれないが、それでも今回のDraco Malfoyはこれまでのイメージとは異なる。今回の作品はいわば変化と不変の部分を明確にし、それをインパクトにおいた演出がなされているといって過言ではない。よってこれまでのようにHarry、Hermione、Ronの組み合わせに囚われすぎると有意義に物語を深堀することはできないだろう。

 作品自体は悪くないのだが、全体的に暗のイメージ部分の占有率が高くなったためか、アドベンチャー度は削減された感じだ。それでも、この作品において、場面を繋ぐシーンのいくつかは不思議なセンスがある。滑稽でもあり、童話的でもあり、恋愛感情もあるし、時間のかけ方にしても、人物の台詞にしても、通り過ぎる風のようであり、また顔に降りかかる雨のようでもある。主人公3人の若さを表現する手法として捕らえれば、それはかなり効果的といえる。

 そして今回の特徴として第1作に回帰できる場面に多く遭遇する。多くの人は、この映画を観た後に、直前の作品を見直すよりむしろ第1作の細部を見直したくなるのではないだろうか。自分の興味もそこにある。多くの子供のファンを得た本シリーズだが、核心に迫るにつれて大人でしかわからない「マインド」の部分に依存する展開が増えてきたと思うのだ。最初の作品で5歳児と観たこの映画....幼少の子供達はどう反応したのだろう。


2009年7月13日月曜日

SONY PSP-3000(RADIANT RED)


Do you listen to the music on PSP?....NO!
Do you watch the movie on PSP?....NO!
Do you use digital camera on PSP?....NO!
Do you watch the "one segment" TV on PSP?....NO!
Do you (web)surf on PSP?.....NO!
What do you do on PSP?.....Only play the game!

ゲームは無線LANを経由して専用サイトから購入。 今は「Xenogears」に耽る。やや古いゲームだが600円という価格で遊べる。

 DSを持っていない自分としては画面が大きいPSPに惹かれた。DSは教育コンテンツなどバリエーションがあるが、PSPはコアに徹しているという感じだ。

 これを買うとき、色に迷ったが嫁から「赤!」と断言されたために赤にした。持ってみると 赤は赤でなにか遊び心をそそられる。これが黒や白やシルバーだったら盲目なまでにゲームにのめりこむ機械的な男の子趣味にしか
ならなかっただろう。赤はちょっとゆとりが生まれる。置く場所も拘ってしまう。赤のポーチと赤のスキンも購入したので自分以外の目も気になるようになった。赤で正解だったようだ。

PSP-3000 radiant red / skin / pouch


2009年7月12日日曜日

Movie: The Reader (2008)


Some footage grabs people's heart. And it is the wonderful prowess of screenplay.

 このような映画を劇場で鑑賞できることはありがたい事である。近年知らぬ間に劇場に巣食う機械的に誤魔化したような映像や音響効果の常套手段に疑問という風船が膨れ上がっている。だから割引を使ってみても損をした気分になることが多々あったが、今回は(鑑賞料金を)もっと出してもいいような気にさせられた。

 前半は特に心に響く場面が無い。しかしそれは後半のための「仕掛け」だからである。Hannaの態度に過去の嫌疑が掛かる場面は、実にさり気無く通り過ぎる。それからMichaelとHannaの家族構成を含めた棲む場所の違いもポイントとなるのだ。

 1958年~1995年に及ぶ愛と人々の生き様。前半で置かれた多くの「点」があるのだが、中盤からそれらを結ぶ「線」にあたる話が登場する。ひとつはProfessor Rohlの「法」の話ではなかっただろうか。戦争の時代と平和の時代の中間にきっちりと2分することはできない。法律もしかりで裏を表に覆すこともできない。ましてや心の問題は未知数だ。法廷における疑惑の記録について被告となったHannaは「自分が書いた」と認める場面がある。この場面で戦後およそ20年経っていて尚も強者と弱者の法則が働いているところは衝撃だ。遣る瀬無さまで感じたものだ。法律を学ぶものが感情をぶつける異様な場面もある。工事も進み、新しく平和になりつつなるベルリンに不思議な歪んだ部分が目立ちだす。そして、終身刑となり収容されたHannaの真実が明かされる....Michaelの送ったカセットテープによって。

 Ralph Fiennesは「Schindler's List」でGoethを演じた人だけに、実に感慨深い。この人でなくてはならない確信まで感じた。一方のKate Winsletはメーキャップの力もあるのだろうが、苦痛を背負った表情のままでほぼ全編を演じるのだから、もう凄いの一言しか出ない。流石「Billy Elliot」の監督Stephen Daldry。この映画は素晴らしい。

 余談ながら、この映画の風景の場面も要チェックだ。ヨーロッパの建物や風景が綺麗に見えるのは、余計なものを配置しておらず、拘る部分は徹底的に拘り、空間(距離)で得られる効果と統一性があるからだろう。日本では密集と個々の雑多性が綺麗な感覚から遠ざけているのかも...この映画ではそんなところも伝えてくれた。

 トルストイの「戦争と平和」はこれからも読んで語り継がれなれればならない話かもしれない。

2009年7月7日火曜日

Movie: Miyoko Asagaya kibun (2009)


Do you know "Japan"?. This is a "Japan" movie. So smell is more than necessary.

 自分。かなり前に阿佐ヶ谷で同棲していたことがある。だからか阿佐ヶ谷臭の記憶を呼び戻しつつ見入ってしまった。あの頃善福寺川の桜を見ながら、たとえ仕事がなくなったとしても平和は維持できそうな気分でいた。ねじめ正一の店辺りを歩けば不思議とコロッケも食べたくなったものである。

 この映画、不思議なつくりである。時間の経過とともに新都庁が映し出されるものの1970年代という時空から脱し得ない。人物の雰囲気も変わらない。もしそれを「些細な部分」と笑い飛ばされるならば、この映画の「些細」で動かす心の表現が意味を成さない。扱われるものは極めて繊細である。林静一も登場するのだから。漫画と人生と心の問題をシンクロさせた安部慎一の人物像。それは数年前のジョニー・キャッシュの伝記のような大味なものではなく、当時の「今からは想像もつかない」四畳半的ヒーロー像の典型でもある。後半で映画は足跡に重点を置いた様な感じがして、異臭から遠ざかったのは残念だが、一人一人の考え方が正論にも極論にもとれた頃の日本が垣間見れた。

 この頃の漫画は凄いと思う。「静で動を表す」と同時に「性で道を現す」。書き込まれた背景。レアリズムの絶頂を求めたかのような画風は閉鎖的な大人の空間からの抜け道でもあったのかもしれない。

 本当は、多くの人がこのような映画に縋りたい気分ではないのだろうか。最早電子物質で囲われた今の世の中で心を揺するものは皆無。しかし、この映画のような場面に遭遇すれば自分を掘り起こせるような気にもなる。ある意味「逃げ」。この「逃げ」な気分こそ充実感、これが現実。