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「偽りの芸術家」。日本でも最近この話題があった。これに関して率直に疑問があるとすれば、名声なのか?金なのか?得られるものは全てなのか? という点。というのも、近年、数十年前には当たり前だったことがそうでなくなって来ているからだ。例えば、犯罪と分かっていても、それ以前に得られた名声や金がその人の思う価値観として(犯罪を)上回っていれば、犯罪は単なる通過点でしかないという考え方。国際テロ組織の理屈も然り。日本で古くから学んできた決まり事の書物を全て封印しなければ実現できない事が、平然とまさに今。蔓延っている。この映画も実話に基づいているとのことなのだが、最近起こっている事件と接点があって実に興味深い。
物語を単純に咀嚼するならば「今ならすぐバレる」感じの手である。しかし、冒頭のウォーホルの言葉などを使い、より真実性の道筋を補強しているバートンならではの手法に加え、時代の明るさというかコントラストが説得性を持っていたようだ。不思議と1950年代から1960年代頃の考え方として映ったのは、絵の取り扱い方とキャンバス上での描き方。「偽りの芸術家」。日本でも最近この話題があった。これに関して率直に疑問があるとすれば、名声なのか?金なのか?得られるものは全てなのか? という点。というのも、近年、数十年前には当たり前だったことがそうでなくなって来ているからだ。例えば、犯罪と分かっていても、それ以前に得られた名声や金がその人の思う価値観として(犯罪を)上回っていれば、犯罪は単なる通過点でしかないという考え方。国際テロ組織の理屈も然り。日本で古くから学んできた決まり事の書物を全て封印しなければ実現できない事が、平然とまさに今。蔓延っている。この映画も実話に基づいているとのことなのだが、最近起こっている事件と接点があって実に興味深い。
物語を単純に咀嚼するならば「今ならすぐバレる」感じの手である。しかし、冒頭のウォーホルの言葉などを使い、より真実性の道筋を補強しているバートンならではの手法に加え、時代の明るさというかコントラストが説得性を持っていたようだ。不思議と1950年代から1960年代頃の考え方として映ったのは、絵の取り扱い方とキャンバス上での描き方。これらは大雑把ではあるが守るべきものは守る姿勢が見て取ることができ、最後にはヒーロイズムに繋がった点もこの映画の醍醐味だったのだろう。
それにしても最初に登場する画商や娘には偽りがその時点でばれていたと思ったのだが、意外にも別の要因に引き摺られてしまい、豪邸のボヤも含めて頭の中で何時しか埋もれていった。
印象のある場面を挙げると、8000平方の豪邸でありながらどこにでもありそうなテレビがかなり異色。やっぱり価値観を物に求める時は、電気、通信、記録機械などは除外しなければならないようだ。それらは先端技術の殻をもつ賞味期限付きのナマモノだからだ。これらは大雑把ではあるが守るべきものは守る姿勢が見て取ることができ、最後にはヒーロイズムに繋がった点もこの映画の醍醐味だったのだろう。
それにしても最初に登場する画商や娘には偽りがその時点でばれていたと思ったのだが、意外にも別の要因に引き摺られてしまい、豪邸のボヤも含めて頭の中で何時しか埋もれていった。
印象のある場面を挙げると、8000平方の豪邸でありながらどこにでもありそうなテレビがかなり異色。やっぱり価値観を物に求める時は、電気、通信、記録機械などは除外しなければならないようだ。それらは先端技術の殻をもつ賞味期限付きのナマモノだからだ。