2015年2月23日月曜日

Movie: American Sniper (2014)


 夜空のトランペット(Silenzio)のメロディを聴くのは随分と久しぶりだった。多分、Nini Rossoあたりが吹いた曲を覚えていたのかもしれない。映画の行き着くところは、結局はこのラッパの音で纏められるのだろう。脳裏に蘇った、かつての作品としては、戦地と母国の違和感が強調されていた「Jarhead」があるのだが、本来は「The Deer Hunter」のほうが近いのかもしれない。仲間(バンド)意識、或は家族意識に対するインパクト。そんなところとラッパの音が溶合っている感じは、Chrisの子供に対するいろいろな角度をもった視点からも悟ることができる。

 戦争映画は、作り手や作る国によってバイアスを伴う。TVシリーズの「COMBAT」などは善と悪を見事に設定し分けているが、相手の国にすればそうならないかもしれない。そしてそこには史実以上の脚色が伴う。反日の中国ドラマもそうだが、かならず観る側を満足させる点を持って来て、最後にはどちらかがベイビーフェースになり、どちらかがヒールを決めた作品になるのだ。しかしEastwood監督はそんな単純なことはしない。今回の映画では複数回向かった戦場を時間をかけて見せることをしていない。そのかわり、印象の糸を紡いでいく流れになっている。この辺が心をつかむEastwood監督らしい部分だ。

 ベトナム戦争以降の戦場を扱った映画は、どこかで皮肉な表現が伴う。「やられたら、やりかえせ!」を胸にしながらも、実際は「なにか違う」点を皆抱いているに違いない。

2015年2月16日月曜日

Movie: Fifty Shades of Grey (2015)


  不思議である。なぜこの手の映画を地方の(家族連れも多く来る)モールにある複合シアターで上映したのか。この手とは例えば「L'Empire Des Sens」「9½ Weeks」のような映画のことである。自分は前情報なしにタイトルだけで鑑賞したのだが、赤い部屋までは普通の恋愛映画と思っていた。そう、赤い部屋と言えば「Twim Peaks」を思い出すが、なるほど理屈の偏った点では共通点があるかもしれない。

Don't use image search keyword 'submissive'.

  ただ今の日本ではさほど驚く内容でもない。この手は深夜アニメにあってもおかしく無い系統のものだからである。極論を正論として押し通す感じは、突飛を基調とする深夜アニメの得意とするところだろう。それでもこの映画の男Christianの間歇泉のような性格は、9割の人間は敬遠したくなる筈。ところが相手の女Anastasiaが残りの1割側に居たため、終盤まで異様な男女関係を眺めさせられてしまう。ただ、最後だけは、その潔さが「怠い」流れを堰き止めた感じだ。

 ”welcome to my world”。Christianのセリフである。要は片側の世界観を闇に隠したような、タイトル意味も踏まえたHENTAI映画を印象づけるような言葉なのだが、女優の表情などからはHENTAI映画とレッテルを貼ってしまうには惜しいものがある気がする。事実、最初はTracy Hydeに人物像を被せたくらいだから。

2015年2月3日火曜日

Movie: Big Eyes (2014)


「偽りの芸術家」。日本でも最近この話題があった。これに関して率直に疑問があるとすれば、名声なのか?金なのか?得られるものは全てなのか? という点。というのも、近年、数十年前には当たり前だったことがそうでなくなって来ているからだ。例えば、犯罪と分かっていても、それ以前に得られた名声や金がその人の思う価値観として(犯罪を)上回っていれば、犯罪は単なる通過点でしかないという考え方。国際テロ組織の理屈も然り。日本で古くから学んできた決まり事の書物を全て封印しなければ実現できない事が、平然とまさに今。蔓延っている。この映画も実話に基づいているとのことなのだが、最近起こっている事件と接点があって実に興味深い。
   物語を単純に咀嚼するならば「今ならすぐバレる」感じの手である。しかし、冒頭のウォーホルの言葉などを使い、より真実性の道筋を補強しているバートンならではの手法に加え、時代の明るさというかコントラストが説得性を持っていたようだ。不思議と1950年代から1960年代頃の考え方として映ったのは、絵の取り扱い方とキャンバス上での描き方。「偽りの芸術家」。日本でも最近この話題があった。これに関して率直に疑問があるとすれば、名声なのか?金なのか?得られるものは全てなのか? という点。というのも、近年、数十年前には当たり前だったことがそうでなくなって来ているからだ。例えば、犯罪と分かっていても、それ以前に得られた名声や金がその人の思う価値観として(犯罪を)上回っていれば、犯罪は単なる通過点でしかないという考え方。国際テロ組織の理屈も然り。日本で古くから学んできた決まり事の書物を全て封印しなければ実現できない事が、平然とまさに今。蔓延っている。この映画も実話に基づいているとのことなのだが、最近起こっている事件と接点があって実に興味深い。
   物語を単純に咀嚼するならば「今ならすぐバレる」感じの手である。しかし、冒頭のウォーホルの言葉などを使い、より真実性の道筋を補強しているバートンならではの手法に加え、時代の明るさというかコントラストが説得性を持っていたようだ。不思議と1950年代から1960年代頃の考え方として映ったのは、絵の取り扱い方とキャンバス上での描き方。これらは大雑把ではあるが守るべきものは守る姿勢が見て取ることができ、最後にはヒーロイズムに繋がった点もこの映画の醍醐味だったのだろう。
  それにしても最初に登場する画商や娘には偽りがその時点でばれていたと思ったのだが、意外にも別の要因に引き摺られてしまい、豪邸のボヤも含めて頭の中で何時しか埋もれていった。
  印象のある場面を挙げると、8000平方の豪邸でありながらどこにでもありそうなテレビがかなり異色。やっぱり価値観を物に求める時は、電気、通信、記録機械などは除外しなければならないようだ。それらは先端技術の殻をもつ賞味期限付きのナマモノだからだ。これらは大雑把ではあるが守るべきものは守る姿勢が見て取ることができ、最後にはヒーロイズムに繋がった点もこの映画の醍醐味だったのだろう。
  それにしても最初に登場する画商や娘には偽りがその時点でばれていたと思ったのだが、意外にも別の要因に引き摺られてしまい、豪邸のボヤも含めて頭の中で何時しか埋もれていった。
  印象のある場面を挙げると、8000平方の豪邸でありながらどこにでもありそうなテレビがかなり異色。やっぱり価値観を物に求める時は、電気、通信、記録機械などは除外しなければならないようだ。それらは先端技術の殻をもつ賞味期限付きのナマモノだからだ。