夜空のトランペット(Silenzio)のメロディを聴くのは随分と久しぶりだった。多分、Nini Rossoあたりが吹いた曲を覚えていたのかもしれない。映画の行き着くところは、結局はこのラッパの音で纏められるのだろう。脳裏に蘇った、かつての作品としては、戦地と母国の違和感が強調されていた「Jarhead」があるのだが、本来は「The Deer Hunter」のほうが近いのかもしれない。仲間(バンド)意識、或は家族意識に対するインパクト。そんなところとラッパの音が溶合っている感じは、Chrisの子供に対するいろいろな角度をもった視点からも悟ることができる。
戦争映画は、作り手や作る国によってバイアスを伴う。TVシリーズの「COMBAT」などは善と悪を見事に設定し分けているが、相手の国にすればそうならないかもしれない。そしてそこには史実以上の脚色が伴う。反日の中国ドラマもそうだが、かならず観る側を満足させる点を持って来て、最後にはどちらかがベイビーフェースになり、どちらかがヒールを決めた作品になるのだ。しかしEastwood監督はそんな単純なことはしない。今回の映画では複数回向かった戦場を時間をかけて見せることをしていない。そのかわり、印象の糸を紡いでいく流れになっている。この辺が心をつかむEastwood監督らしい部分だ。
ベトナム戦争以降の戦場を扱った映画は、どこかで皮肉な表現が伴う。「やられたら、やりかえせ!」を胸にしながらも、実際は「なにか違う」点を皆抱いているに違いない。