Haruka Ayase attracts many people in this movie.

Haruka AyaseとOppai(= one of slang about female breast)との連結は、売り出し中の女優にとっては危険なジャンルともいえるが、この映画がそういった妄想感に固執させないのは背景と設定だろう。背景となる1979年は、新しい文化への転機だった雰囲気が伝わる。それに加えて日本の近代ドラマの下地を作ったスポ根(fireball story in sports)モノを2.5者的な視点で描いている部分があることで、これが面白く、笑いを持って展開を見守ることが出来き、肝心の筈だった妄想感はどこかへ飛ばされていることに気づく。そして、不思議と文芸作品のような纏めまで来ると「罠を知っていて掛かった奴」である自分を咎めることが出来ない。
比較的ツッコミを入れたくなる点は、古すぎる公衆電話ボックス(この時代は既に透明なボックスではなかっただろうか。北九州戸畑がどうだったか?とは考えたくないが。)や、フラッシャー(a bicycle with electric direction indicator lamp)搭載の自転車とか、ペーストをたっぷりつける歯磨きなど。振り返れば、実におかしな点に執着していた時代だったと思う。