字幕版劇場を探すのに苦労しながら、やっと都心の劇場で見ることができた。ところが、これが米国版と思いきや、米国版と日本語字幕版は若干違うらしい。映画をこうまで多仕様に分け、公開することが作品を語る上で良いこととは思えない。何時ぞやの完全版とか特別編集版の存在意義でさえ昔から今に至るまで怪しい。
久しぶりに日本のレビューを眺めて見た。かつて、ネットがなかった時代まで遡ると、観客は事前情報が無いこともあり、童心に帰ったようにワクワクしながら観たものだ。そこには理屈が先に立つ邪魔な拘りは無かった。それが今では、宣伝の誘導するかの如くイメージされた植え付け感と、ガチガチに凝り固まった理屈先導型コメントの多さにより、映画の行き先が決まっていなければならないかのようでもあり、人間としての更なる五感の損失を危むに相応するものだった。
さて、自分がこの映画で注目したのは、日本のカルチャーへの唯ならぬ拘りが感じられたことで、原案はマーベルコミックかららしいが、戦隊もの、マジンガーZタイプのロボット、RPG、日本風のファンタジーなどアンテナをたてれば「男の子なら盛り上がる展開」になっていることが嬉しかった。前作の「Frozen」は男の子モードが希薄だったこともあり思い入れが皆無だったが、今回で十分な挽回になったのでは?と思う。しかし一方で女の子にはソッポ向かれそうでもある。
やっぱり、字幕版で鑑賞して良かった。吹き替えは毎度毎度、違和感の山に苛まれることもあるが、オリジナルのハートが感じられるのはやっぱりオリジナル言語しかない。