この映画は米英のほかシンガポールやスェーデン、デンマークなどで公開されるも、中韓とかドイツには公開されていない。中国が如何に功みに南京映画を作っても日本には公開されない。歴史的な見解は基本的には偏見の色合いが濃い上に、もし歴史の一場面を切り取ってデフォルメすることは、歴史の流れに対して堰を作ることになりはしないか?とも思う。
別視点から観てみると、日本人にとっては、かつてアメリカ人側から日本人に対して思っていたことを現在の日本と中国に当てはめて考えることができるかもしれない。
史劇として美化することは構わないが、安易に「史実」にしてはならない…と、この映画にしても同様の思いが。映画の焦点となれば特に最後の天皇の仕草になりそうだが、もちろんこれも曲解かもしれないので、映画として観ているという枠からはみ出ないようにしたい。
意外なテーマの映画であり、アメリカの好むダイナミズムのある内容ではないのだが、日本人だからか、思ったよりも溶け込んで観れる。が、あまり山となるものがなく当たり前的な進行なので、気持ちが中途半端な状態で終えることにもなる。それでもこういった映画を製作したことは評価したい。「太陽」「マッカーサー」などと並べて観てもいいかも。
映画では、近衛の言った内容が印象的である。どの国にしても真似て大国を目指す。その反面、真似るは(魔ねるともなり)一種の歴史矛盾を生み出す。それは闇市場に出回る模倣品だけではなく、原子力開発や宇宙開発にも及ぶものである。しかしだれもその「正しさ」を定義できない(そう思い込んでいる人は多いが)。つまり木の実や草や野兎を食べて生きてきた種族が、あるときから海の魚を食すようになったときに、誰も未来に起る変化を考えようが無いということ。その辺を考えてしまった。