ウルトラマン世代で育った人たちがある程度大人になると、かつての愉しみは脳裏に残しながらも昔はこんな「子供騙しの絵に夢中になっていたんだな」と現実対比を公言することがある。それは以前の自分から比べて以下に成長したかを示す証としてかもしれないが、一方では着ぐるみを来たデパート屋上で行われた子供ショーと一線を画したいからでもある。しかし多くの男の夢としては昔の精一杯だった特撮技術を今の世界にリアル蘇らせたいことこそが本当の欲望かもしれない。そのメインストリームとしてJurassic ParkのSpielbergが技術的な方向付けをした後、あのdel Toroがここに来てしまった。
今回は残念なことに3Dながらも日本語吹き替え版であった。よって微妙なニュアンスが伝わってこない。別の機械に英語版を観るとするにしても、内容としては日本のかつての様々なコンテンツがすし詰めされたような内容が嬉しかったりする。
怪獣映画といえば日本映画史に欠かしてはならないものである。戦争の悲劇や核の脅威を「怪獣」に置換えて世界を壊滅的な状況に陥れる風景とオドロオドロした音楽の時代。十分に痛ましさを痛感した筈である。そこへウルトラマンや子供に優しい怪獣などで怪獣映画がエンターテインメントのジャンルへ。戦争や核の脅威が置いてきぼりになってしまった感があり、今に至るまで怪獣映画の呈した問題点を語れないまま好き嫌い議論だけが残っていた。
del Toroの本作は思った以上に(エンターテインメントながらも)怪獣の意義を伝えてくれているのは嬉しい違和感だった。「世界がいがみ合っている場合ではなく、協力して…」的な世界観で塗りつぶしての展開だけに、かつての国に閉じこもった作品とはやや違って見えた。
三度くる怪獣の波。この映画はその迫力を堪能するだけで十分だろう。


