「ヘッドフォンでも観て欲しい映画である」「手に汗握る映画である」「”なんだこいつ!”と独り言が出てくる映画である」。
かつての映画を思い出してみたりする。
「クロスロード」「オール・ザット・ジャズ」いやむしろ「ロッキー」みたいな感じなのかもしれない。
なるほど、ほぼ全部のシーンにAndrewが登場するようだ。主役が決まっていたとしても、ここまで多くのカットに登場する映画も珍しい。その中において理解できない場面と理解できる場面とが交錯していく。主役の性格は普通ではない。利己主義なのか、一途なのか、単純に優越感を求めているだけなのか。それに呼応してか浮き沈みの極端なこの映画は、自然と見る側を真剣モードにさせる。
日本語で「音楽」と書くが、ここでは「音苦」の世界。まるで噛み合わない歯車。何か突然の化学反応で生まれてくるものを期待しているかのような世界観。チャーリー・パーカーも然り。チェット・ベイカー、セロニアス・モンク、ジミ・ヘンドリックス、グレン・グールドなどの人物像にFletcherの理想を感じた。確かに近年の音楽ビジネスにはかつての天才を見出せない。無理矢理音楽と関係ないものとタイアップして価値にしたようなものがメディアに載る。だからなのか、例え威圧的だとしてもFletcherに共感する部分が多い。後半のAndrewの囚われたようなバックグランドを持つ性格から解放する流れは面白かった。
正直、最後のソロは、観客にしてもれば「聞きたいもの」では無いだろう。終わり方としてこれで良かったのか?と疑問を持った。悦に入る演者と観客との間に生まれた壁、そこでエンドロールになる。逆にこの不思議感が良いのかもしれないが。