The Girl by the Lake....and others are?

この作品、一般的なサスペンス物と大きく違うのは、鍵となる場面が登場しないこと。しかもはっきり言えば関係ない場面から話が始まる。それ以降、微妙な接点だけで場面を縫い合わせてはいるが、核心に迫るどころか、迷路を沢山登場させ、「事件には多様な人間像、感情が入り乱れている」といわんばかりの展開に変貌している。よって犯人を断定することが映画の幕ではなく、一種異様な展開を弁明するかのような流れが主題と言えそうだ。しかもSanzio刑事とMarioの父の像がオーバーラップするなどの人物像詮索への関心を生み出す点も厄介だ。なぜならこれらが結論付ける構造形成には至らないからである。すべてが湖のほとりの如く霞んで見えてしまう。本当にこの話で多くの日本の観客は感動するのか?
考えるに...近年の無機質な世界観を呼ぶ映画の中で、ベクトルは違えどもある種の心に響く作品となっているのかもしれない。