
「イヴの時間」。短編シリーズでみたロボットと共存する近未来生活が劇場版となる。この映画でまず思ったことのひとつ、「矛盾は打破できない」。矛盾があってこそ生活はある...のだろう。次に思ったこと。今で言う他国との共存をグローバル社会というならば、それをロボット社会にすり替えた場合、見えづらかった問題点が露呈されるということ。矛盾の面から見るならば、この中で登場する倫理広告に「機械が作ったトマトを、食べますか?」というのがある。「機械を人間が作ったもの」と定義できるならば、ここには矛盾がある。今ならば外国依存形の加工貿易のようなものに近い考え方だが、一概に同等ではない。そして、グローバル社会の面からみれば、このアニメでは「イヴの時間」という、人間もロボットも区別のつかないスペース(喫茶店)が存在するのだが、そこでは人間もロボットもどちらもコーヒーは飲む。ルールという拘束具から開放されたロボットは人間のように振る舞うし、人間のような冗談も言う。目線の違いがあるとしたら「新しい人」がもたらすときである。
ここで現実に振り返れば、未だに「グローバル」の根底には(イヴの時間とは対局的に)違すぎる目線。
自分のなかでまだ論法をまとめられない問題....このアニメはシンプルな場面設定において、その裏側はかなり複雑である。
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