2015年12月19日土曜日

Movie: Star Wars: The Force Awakens (2015)


 ネタバレを気にしている映画なので、ストーリーに伴う幾つかの疑問もここでは開示しないほうがよいだろう。

 ディズニー映画となることは昇格か格下げか、かつてのオープニング・ファンファーレは何処。
 映画の戦闘シーンは洗練されている。それはまるで「Private Ryan」 で驚かされた場面に通じるものもある。
 最初のシリーズで登場した3人を使いながら、全体に過去シリーズの拘りをいろいろな点から振り払おうとしている雰囲気も感じ取った。

 Lucusの手に寄る直前作「Ep3:Revenge of the Sith」は、トリロジー前後3部作同士の辻褄合わせ感が強かったため、新鮮味に欠けていたのだが、今回のEp7は、多くが推測しているストーリールートを裏切って来ているきている上、J.J. Abramsが得意とする爆発・破壊映像のインパクトが強かったため、新鮮ながらもときどきStarWars中の異端的な印象も受けてしまった。ただ、光と闇の部分はこのシリーズから除けない鍵として確信を持てたことは良かった。

 最初のシリーズではAlec Guinnessで、その次のシリーズではChristopher Lee。そして今回はMax von Sydowが出ていることもStarWarsシリーズの幅を感じるところだ。

2015年11月15日日曜日

BD/DVD: The Beatles 1+ [CD + 2 Blu-ray] (2015)


 かなり前よりビートルズの映像は色々な場所で目にして来た。東京のミニシアターで流されたビートルズ・フィルム・フェスティバル。TVKの音楽特集。シェアスタジアムのライブを公開した劇場…。それでも過去色々な場面で焼き付いた印象を遥かに超えた良質の映像がこのBlu-rayで出会うことができた。

 自分にとって、このセットの中での曲の目玉は、「Hey Bulldog」と「Rain」である。まるで時間差を感じさせないくらいの魅力がある。加えて、1966〜1968年あたりの映像は撮影コンセプトが時代背景と相成って面白かった。この頃の映像への力の入れ方が伺えるものである。まだ20代のいたずら好き青年の姿でありながら、世界屈指のクリエーターの才能で包まれたプロモに、今更、時代の変化の分岐点にあったことを再認識させてくれる。

 映画「Yellow Submarine」や「Let It Be」からの映像カットはあまり面白く無い。今でも1982年頃録画した映画「Let It Be」を見直すことがあるが、映画は映画のままの世界観として、単独で見たりする曲とは分離させて欲しいと思った。

 この2枚組Blu-rayではDISK2がメインといってもいい。テイクの異なる映像の思惑等がわかるのと、今に至るまでの映像技術とリアルタイム映像との融合もまた見所といえる。ただ、曲の並びが、バンドクロニクルなものになっているので、できれば映像制作年順にしてもらえると有り難いと思った。

2015年10月12日月曜日

Movie: The Intern (2015)


     今年観た映画の中で、一番楽しめたし、自分との境遇に通じるものが幾つもあった。Robert De Niroがすべてにおいて優しく、丸い人間に感じられたのは、かつての
「The God Father Part2」 や「Taxi Driver」から知っている人間にとっては不思議に他ならないのだが、そこも嬉しい部分ではある。
     面白いことに、ここのオフィスは、個々に仕切りのあるタイプではなく、日本にもよくあるアイランドタイプの机。やはり複数の人物を絡ませるドラマにはこっちの方が分かりやすい。最も見やすくしている部分として、執拗にぴりぴりさせる人物が登場しないこと。ここは褒めたいところだ。後半、やや過剰な展開もあったが、それはご愛嬌だろう。
     日本語のサヨナラが普通に溶け込んでいたが、何十年前では考えられなかった。あと何年か経てば日本語という拘りからも解放されているかもしれない。

Movie: Fathers and Daughters (2015)


 邦題では「パパが遺した物語」となるこの映画。小説家の父の遺作の存在が娘に如何に影響するか...のように思わせるタイトル。だが、原題から推測するに20年以上を超えて、昔と今の父娘各々の異なる面や共通の面に焦点を当てつつ、それでも変わらないものを感じ取る映画に思えた。確かに邦題のように小説が父と娘を繋げる役割になっているのだろうが、映画の特徴としては、恋人との間の葛藤を経てパパから自立する娘的な色が強い感じがする。
   「アメリカは全てカネ」Jakeのこういった表現は、本作の背景となるコアの部分が認識できる。色んな意味で生活レベルにおける差別感が、登場人物達の方向性を歪ませた空気を作り出し、命にかかわりそうな気持ち悪さまで感じられた。
 全体をとおして携帯電話やパソコンがほとんど出てこない映画も珍しいし、80年代のニューヨークの雰囲気もよかった。


2015年10月6日火曜日

Movie: Adieu l'ami (1968)


   劇場で古い映画を「今」鑑賞することについて、最近、色々な価値を見出している。一つ目は「時代の違いと考え方の違い」で、二つ目は「何がこの映画の魅力だったのか」。三つ目は「昔へのタイムスリップ」である。
   「Farewell Friend(邦題:さらば友よ)」は、実は初見である。かつてロードショウ誌の人気投票で常に上位にいたアラン・ドロン(Alain Delon)とチャールズ・ブロンソン(Charles Bronson)の映画であることはもちろん知っていたが、残念なことにテレビでさえも見る機会がなかった。今回この映画を見るに当たり、名作という肩書きよりも、二大スター共演映画という肩書きだけを信じきって臨むのが正しいと思った。実際、自分のような立ち位置である限り、そういう見方になってしまうに違いない。
    先に提示した「時代の違いと考え方の違い」において、特に白か黒か的なコントラストが強く押し出され、物語の設定の不鮮明さを凌駕するほどの映し方は面白い。今の映画作りとは明らかに違う。更には演劇的な手法で目立たせるテクニックは、この時代背景だからこそ生きるのであろう。次の「何がこの映画の魅力だったのか」を問われれば、やっぱり二大スターの魅力を押し出す映画だった…という一言だった。
    自分にとって、一番感傷的だったのは「昔へのタイムスリップ」感。かつて、明大前や池袋、新宿のミニシアターで鑑賞し終えたときと同じ雰囲気が自然と再現されたのであった。

   これを見た後、「シンジケート(The Stone Killer)」や「スコルピオ(Scorpio)」をまた見たくなった。


2015年9月20日日曜日

Movie: Kokoro ga sakebitagatterunda (2015)


 予想に反して、泣ける映画の構成ではなかった。スタッフも、「あの花」の泣ける流れに頼らず、むしろ一転させたような群像ものにしたと察する。
 「あの花」では、オープニングの「青い栞」のもつ日常感がしっかりと土台になりながら、物語の非日常の違和感で巧く色づけし、その相互の反応で心の琴線に触れる。。。そんな感覚が素晴らしかった。加えて、クライマックスで流れるエンディング「secret base」の持つ力。やや見方を変えれば舞台劇的な演出だったが、今回の映画では、その舞台劇をミュージカルというベクトルにしたものになっている。
 暫く観ていると、ストーリー中に日常的な土台が見当たらないからか、距離を置いた目線で見てしまった。もちろん、一つ一つは現実としてありそうな場面だし、秩父の風景がその効果を盛り上げてくれるのだが、高校生が聴く昭和歌謡が明示しているように、なぜか馴染めない異種的な印象は拭えなかった。
 エンディングもGalileo Galileiあたりでやって欲しかったのだが、ちょっと自分の期待とは外れたカタチとなっていたようだ。

Movie: Ant-Man (2015)


 アントマンについてはよく知らなかったのだが、60年代からあるコミックからということで、マーベルのネタはまだまだ底が深そうだ。
 とはいえ、コミックス的な奇抜な導入とはいえず、むしろ一般的なアクション作品の導入ぽくなっていたようなので、近くの小学生くらいの客がやや飽きていたようだ。アントマン自体も凄い能力を持っているわけではなく、虫サイズのヒーローであり、やや冴えない表現になりがちなところをCGで引き延ばしていた点は否めない。前半が前半だけに後半は落ち着いた表現のほうが良かった気がする。印象としてはドタバタ感を残して終わったような作品だった。ただエンドロール中と後で今後の展開のさわりがあったので、このシリーズも広がっているものだと思うが、ハルクやアイアンマンのようなフロントマンになるには、暫く時間が必要のようだ。
 やっぱりMichael Peñaは存在感がある。

2015年9月8日火曜日

Movie: East of Eden (1955)


   これだけ、新作に見たい映画がないと、昔の名作で気持ちを一新するのも有りだなと思い、さいたま新都心に出かけた。

    以前見たことがあるといっても、結局は吹き替えで大幅にカットされ、しかもコマーシャル付きのバージョンを見た、小学生頃の思い出レベルである。家庭のテレビで映画を見るときいつも思うのは、あまり気持ちを入れることができないという点。他の人はどうか分からないが、馴染んだ空気に安心してしまい、浅い記憶しか刻めないのも理由だろう。今回、劇場で見ることで、これまでの「(一応)見た」という思い出を消去したかったことも感想理由にはある。

   創世記をモチーフにしたのは有名な話だが、冒頭から「有り得ない」主人公の行動に名作感が薄れる思いだった。ところがこれが後に生きてくる展開になろうとは…意外であり当然でもあり。この映画は、エピソードの一つ一つに名シーンが隠れているのではない。現代では失われた様な、人物像の描き方こそが惹きつけられる一番のポイントだろう。

   創世記では殺める内容のところを、この映画では戦争に行くという意味に置き換え、悲劇的な点を描いているのだが、今見ると、悲劇という意味では(戦争の一番嫌な部分である)国と国との差別、憎しみの下りの強調があり、テレビでよく見る偏向的な正当性を押し付ける風潮、特に最近の国連事務総長の非公正的な行動や反戦?デモなどとラップして映ったりもした。つまり、国とか人種を肯定していながら、戦争を否定することは、究極の矛盾の表れであり、それらしいデモも安っぽく映る。この作品は、人のあり方として、カインの目、アベルの目の両目から見た本当の世界観を問う物として、今の時代に十分価値をなす物と思えた。

2015年8月16日日曜日

Movie: Jurassic World (2015)


   映像革命を齎した第一作目から20年も経つと、興味は「今とそれとの違い」に向いてしまう。だが蓋を開けてみると、そこは第一作目の焼き直し的展開でしかなかった。家族の微妙な関係と子供の好奇心。悪役的なスタッフに犠牲要員。危機から脱出した安堵も束の間で更なる危機。どれもこれもがパターン化され過ぎである。Michael Crichtonの原作を曲げない点からかもしれないが、これでは見る側の想像力テストにもならない。

   ハリウッドも含め、映画産業がこのような形になったのは過剰な映像技術の多用と、クリエイティブ性を失い、使い古されたモチーフと脚本によるところがある。勿論、興行の仕掛屋、制作屋もそうだろう。端的に言えば近年は「目は楽しめても、心は楽しめない。」作品が多過ぎである。むしろ最近ではパニック映画やオカルト映画やカーアクション映画だらけだった70年代作品のほうが輝きを感じる程なのだから。

    ただ、さすがに映像技術には感心する。予算の違い云々はあると思うが日本映画のそれとはまだまだ遥かな距離がある。映像重視か脚本重視、何れが良いとは言及を避けるが、どっちつかずの中途半端感が少しでもあれば、映画全体が安っぽくなることに異論は無い筈だ。

   ここでは、何度か書いたが、今では劇場でさえオリジナル言語版(字幕版)を見るのが難しくなっている。この作品は地方では殆どが吹き替えである。最早、出演者の演技を楽しむことさえ出来なくなった。日本の地方に住む外国人にとってはえらく災難だろう。。
    今、純粋に映画を楽しむ時代は終焉したのかもしれない。

2015年7月13日月曜日

Movie: Still Alice (2014)


 Julianne Moore演じるAliceと彼女の夫と子供たちの関係。一見普通であり、家族愛に満ちた幸せな家庭でもあり、権威もあり、何もかもが充実しているように見える構図なので、鑑賞する立場で言えば、やや見上げる目線でストーリーを追っていくことになるが、そこもまたこの映画の問題点提起にもなっているようだ。
 家族それぞれが持っている主張、プライド、考え方の距離感などが恰もサスペンス映画のように、講演の場面や観劇の場面、更には乳児を抱く場面でのAliceのしぐさに絡んでくるので、見ている側が受ける緊迫感が半端ではない。そしてAliceと娘二人との距離感が逆転していく様は残酷でもあり、必然でもある不思議な表裏の世界観。加えて夫の妻に寄り添う姿勢がありながらも何か心が自分の世界に飛んでいる雰囲気もまた効いていた。特にKristen Stewartの表情の変化もまた着目すべきである。

 最近の映画にはあまり音楽面で着目していなかったのだが、このピアノを加えた四重奏の演奏がとても印象的。ある意味でベートーヴェンの第九の第三楽章的な安堵と不安の感覚に近いものがあった。

 ここ最近出会ってなかったこの雰囲気の映画。もっとメインにしてもらいたいし、本来映画の持っている社会性を問えば、現状の映画ビジネスの鬱屈感から抜け出したと思うはずである。