2016年9月22日木曜日

Movie: Koe No Katachi (2016)


 今の日本にタイミングよく舞い降りたテーマ。
 偽善とか本音とかの軸ではなく、誰もが心の中にある「つっかえ」をどうコントロールしていくのか。映画では登場人物それぞれに持ち合わせる「つっかえ」が微妙に且つ大胆に絡まる。そこには本人にもわからないモヤモヤした領域があり、そこを共有しながら歩み寄るが、「つっかえ」は解決することなく誤解や苦難を呼ぶ。たぶん、最後が良い感じで終わったとしても、きっと「つっかえ」はとれないのだろう。とれない「つっかえ」。それがテーマだと思った。

 近年のアニメ作品は重くなった。社会性のあるテーマに取り組む点では以前からある。もちろん「エヴァンゲリオン」にしてもそうなのだが、心理描写は以前にないほどに複雑化しているようだ。いい映画だと思う前に、こういう複雑な描写に向き合い、いったい我々は何をすべきかが解決されないところが、今度は自分のほうにも「つっかえ」を作り出してしまう。

2016年9月11日日曜日

Movie: Suicide Squad (2016)


 アメリカの人気映画といえば、Marvelからたくさんヒーローを集めて盛り上げるイメージが消えぬ中で、今回はDCからのヒーローもの。正直、この手の映画は好みでは無いが、5週で3億ドルを稼いだ作品という意味で観ることにした。
 「Sin City」、「Fantastic Four」、「Kill Bill」、「Spider-man」をはじめ、いろいろな作品が脳裏をよぎる。そこには近年の定石ともいえるスタイリッシュな雰囲気をもったヒーローものである。ただ、いきなり知識がまったくない状況でこの映画を観たとしたら、中盤までは取っ付き辛いだろう。一応、登場人物を紹介しつつも流れを作ってはいるが、素早く切り替わるショットに追いつくのが精一杯な感じ。ようやく腰を据えて観れるのは中盤のチームが集結したところからだ。ゾンビのような敵と戦うあたりが一番の見所。その後のラスボスに行き着くまでの過程は、なにか気が抜けた炭酸水のように「何かを失くした」感が…。
 まぁ、それなりに楽しめるとは思うが、もう少しそれぞれの個性を強調した内容にしたほうがよかったのでは?と思うのであった。

 刀をもった人はデビュー作だそうだ。マスクを取った次回作を期待したい。


Movie: Kimi no na wa. (2016)


 思った以上の重量感のある作品だった。「転校生」や「シュタインズ・ゲート」のような恋愛主軸で、入れ替わり、かつ、タイムトラベルものかと思っていた中、ヘビィなテーマが持ち上げられる。以前千人以上の怪我人を出したロシアの隕石落下事件を思い出すのだが、こういった希にでも起こる起こらない事象と、大津波や地震、台風のような一度でも被災したものとの線引きは、基本曖昧である。しかし、一度でも事件として扱われれば、異常なまでの防災意識でメディアが利用されるため、極論化が更に膨れ上がっているのが今の世の中だ。もしも、毎年のように、映画でも登場した隕石落下が発生する世の中が来れば、人の生活はどう変わるのだろうか…、という考えを持ちつつも途中から三年もの時を隔てた二人の接続定義まで感がなければならなくなるため、「(気持ち)忙しい」映画でもあった。
 キャストは俳優さんと声優さんが混在しているのだが、Ryunosuke Kamikiが予想以上に良い感じだったので、違和感なく観れた。

 

2016年7月31日日曜日

Movie: Trumbo (2015)


 最近、「芸術」という言葉が似合う映画を見なくなった。いや、たぶん近くの劇場公開作品に「芸術作品」が皆無に近いからかもしれない。70年80年には芸術作品と呼べるものが多くあったのだが、今では感覚を麻痺させる作品ばかりである。次第に映画から離れていく自分がいるのだが、そろそろ「映画」文化の終焉が近づいているのかもしれない。

 この映画の「赤狩り」を、今の「移民排斥」「黒人排斥」「銃規制」に当てはめると、本質はその裏の裏にある組織的な壁が見えてくる。時代はなんらかの形で繰り返す。とても参考になった映画だ。

 Dalton Trumboは昔のパンフレットなどでの日本語表記ではドルトン・トランボで通っていた。自分は「Johnny Got His Gun 」で初めて彼を知ったが、赤狩りの詳細事情までは知らなかった(ブラックリストにCharlie Chaplinの名もあったそうだ)。今回の「Trumbo」では、有名人や有名作品がぞろぞろと登場するのである意味で非常に楽しい。例えばEdward G. Robinsonなどは、彼が出ているというだけど「Soylent Green」を見に行ったくらいだ。

 映画では、投獄シーンなどはあるものの、瀬戸際を表すような部分は無い。その分、家族のシーンが協力的な印象のほうにウエイトを置きたかったのだろうか。それに合わせるようにキャラクターのイメージが良い具合に出ているようだ。Otto PremingerにKirkDouglasなどなど。この映画の苦労した部分が伝わってくるようだった。


2016年7月16日土曜日

BD/DVD: The Rape (1982)


 amazon tv stick を安く手に入れたので、最初の一本目としてこの映画を選んだ。映画デビュー2年目のYuko Tanakaが初々しい。かつてのATG映画では「サード」を思い出すYoichi Higashi監督の作品。

 電話のベルがよい効果を出しているのも、こういう時代だからこそかもしれない。面白いのはレイプされた日に鳴る電話と、ラストで鳴る電話の対比。映画が表に出そうとするひとつのポイントなんだろう。
 この時代は、まだ携帯電話、パソコンなどは無く、防犯のためのカメラも無かった。住宅地にも空き地が目につき、人通りもまばらな頃を察すると報道には出てこない問題が山のように隠れていたと思う。
 裁判のシーン以降、流れが変わってくる感じが面白い。まず、被害者が容疑者のように扱われ出す点。そして容疑者の弁護士が話を掻き回してくる。さらに登場人物のそれぞれの裏事情が明らさまになり、被害者でさえも「絶対的」なものが薄れてくるのだ。こういった流れは、技術の進歩を遂げた現在でも同様に社会の不条理の普遍性が根を張っている。解決したいが解決できないモヤモヤした部分。ここを描いたところは評価したい。

 男と女のダイアログ。冷静に聞いていると、あまりにも違和感のある内容にとれるが、あの頃を思い出すと、納得する面もあるのが不思議だ。


 結婚式後に登場する車は自分も当時乗っていた車。懐かしかった。

2016年6月19日日曜日

Movie: Irrational Man (2015)


 まるでかつてのJean-Paul Belmondo主演作品のような日本語タイトル。「教授のおかしな妄想殺人」という酷すぎるタイトルを知らなければ、きっと別の角度で楽しめただろう。Woody Allenは確かにコメディ調を巧みに扱っているが、意図としては全く違うところにあると思うし、実際に、欧米では犯罪ドラマとして扱われている作品である。

 実に惜しい感じがした。中盤までの流れは個々の考えを出しつつ交わりあい、面白く作られていると思うのだが、Abeの行為が追求されだした点から、いろいろな面が粗く感じたのである。ラストは駄目押し。ちょっと踏ん切りがつかなくなった。特に、Jillの人間性が問題に思える。彼女はAbeがロシアンルーレットで自分の頭に銃口を向けることを目にしていながら、その後、レストランで他人の裁判の問題に聞き耳を立てた。「嘘」の話から始まったAbeの講義に惚れ込んだJillならば、彼の意図と展開をある程度、読み解けたとしても不思議ではない。むしろ犯罪行為超えた世界観を持つ人物として興味を持っていたのではないのか?と思ってしまう。もし日本語タイトルの「おかしな」を付けるならば、女性側に付けた方がいい。



 その一方で、考えさせられる作品として評価していいのかもしれない。今の現代で問題にされている犯罪、社会問題、人と人の距離、様々な課題が凝縮されていたからである。


2016年5月30日月曜日

Movie: Tokyo Story (1953)


 尾道で生まれ育った家族らしく、言葉遣いがどことなく懐かしい。Haruko Sugimuraは広島出身だからか、最も昔よくいた人っぽく振舞われる。

 映画は通常衣服等で季節感が出るが、取り立てて注目すべき部分ではないが、この映画では始終うちわが使われる。この表現が実に場面に引き込まれる効果を十二分に果たしている。

 興味があったのが、風景を映す場面に登場する黒煙を吐く煙突。これば当時として一般の風景だったのだろうか、今では恐ろしく感じる表現に映る…。

 Chishu Ryuの「いやー」から始まるお決まりのセリフ。喜怒哀楽の様々な場面に拘らずに使われる。ここでこの中心人物の人柄を明確に表しており、いままでの家族の記録を代弁しているかのようだった。

 Setsuko Haraのアパートで見られた貸借りのある生活。これは「An Autumn Afternoon」で登場する場面とも共通点があり、生活の様々な形がさりげなく語られている。どうしてなのか地位と裕福さの反比例的な印象も受けるのであった。

 戦後10年も経っていない銀座の街並み。日本の復興力というのはこの時代が最も端的であり、今の復興ベクトルは様々な意見対立や損得勘定が壁となり前進できない感じと比べてみると実に感慨深い。

 総括すると、この映画は、冷たくもあり、暖かくもある時代の変わり目の一コマである。子供が駄々を捏ねられるくらいの余裕ある生活が広がりつつある時代になる、その一方で、依然、昔を装う親世代との差は今に置き換えると、人間のもつ本来の能力を削っても「楽」や「便利」を求める程の良い技術革新社会と、必然性から生まれた職人気質との差と言えなくもない。正に未来を暗示させる映画である。

 このサイトでの評価を例に出すまでもなく、とにかく世界での評価が高い。この映画の着目点も、時代に沿って変化しつつあるのかもしれない。



2016年5月20日金曜日

Movie: The Sea of Trees (2015)


 思った以上に面白く観れた。日本が舞台となっているが、あまり日本色が出ていないところも違和感なかった点であろう。

 基本、人間の絡みを主体とした劇であり、例えば“The Squid and the Whale”みたいな極端な雰囲気もある。それに加えて、青木が原に集まってくる人たちには様々な理由がありながら、森という視点に置き換えた時、すべてが同じ境遇の下で葛藤し、その末路も違うというメイズのような世界観が加わったことで、間違えれば殺風景になりかねない場面を、無難に繋いでいると思った。

 ただ、次に挙げる3つの不思議感は、最後までサスペンドされてしまうため、満足の域まではいかない。1つ目は、学者の立場でありながら、理論的に自分の位置(太陽の位置とか、時計とかを用いて)を認識できないのか。2つ目はダムが決壊したような場面の疑問。最後はKen Watanabeの存在。もともと彼のミステリー性が主題なのだと思うのだが、英語の会話能力や家族の名前の謎あたりだけでは解決できないものがあった。

 それでも、青木が原という知っていそうで知らない映像には興味あったし、いい感じでストーリーと絡ませたと思う。そして、Matthew McConaugheyの存在もDustin Hoffman的な印象があり、面白かった。


2016年5月10日火曜日

Movie: The Way We Were (1973)


 実は初めての鑑賞である。この映画で2つのアカデミー賞(主題歌、ドラマスコア)を受賞したMarvin Hamlisch。同年彼は、映画「The Sting」でもアカデミー編曲賞を受賞しており、彼の黄金年であった。またこの年の主な映画には「American Graffiti」や「The Exorcist」「Paper Moon」「La nuit américaine」などがあり、アメリカンニューシネマをはじめとした革新的な映像手法を以って文化の変化を印象的に映した映画が多く登場した頃だった。なぜこの映画を見過ごしていたのかは、自分でも不明であるが、とにかく本日、劇場で観れたことは嬉しかった。

 KatieとHubbellの関係は、些細なバカバカしい関係にも見えるが、同時に社会の体制に縛られたできる限りの行為にも見え、画に映らない憤りとかジレンマとかが多少のユーモアを交えながらも描かれていたと思う。当時売れっ子だった主役二人だが、演技からはそんな雰囲気を読み取れないほど自然な演技に見えた。今では当たり前となった携帯電話やパソコンのような出過ぎた小道具もなく、サプライズ的トリックもないストレートな男女の向き合った会話。これが映画を引き締めてくれた。加えて、戦後アメリカの政治に対する空気も何気に感じることができたのは良かったと思う。

 1970年代前半のアメリカンシネマはやはり魅力がある。ストーリーには、今だからこそ見て損は無い要素が溢れているのだ。


2016年5月1日日曜日

Movie: Spotlight (2015)


 一言でいうと、とんでもないテーマを扱った映画である。かつての映画「All the President's Men」のような展開を予想しつつ見ていたが、ポイントはそこではなかった。この映画で唯一不満な部分として、児童虐待の歴史的な側面を省いていたことである。だから、映画が終わって「なぜ?」という疑問を残した点は、「良い映画」という感想をかなり薄めさせた。
 映画では、司祭とその家族関係、被害者の意見がかなり重要なシーンになる。つまり、なぜこれだけの人数が同じような虐待を(国を超え、時代を超えて)行われていたのかという点を仄めかすシーンのことである。映画ではおそらく、そのあたりを画的にうまく表現しているのだと思うが、自分にとっては不十分感でしかなかった。それでも興味を抱かせたという点では見て満足な映画なのだろう。

 例えばBABYMETALを好きだと公言すると、海外の一部から「paedophilia」として軽視される。日本では(たぶん)理解できないことである。しかしこの「paedophilia」根っこは古くからあるカトリック教会のしきたり的に根付いていたものらしい。「化物語」の戦場ヶ原の過去のような悪魔祓い的なのものか、または独身司祭に与えられた暗黙のしきたりなのか、虐待を受けた側がやがて司祭となりそれを繰り返す連鎖的なものなのか、いずれにしても人里離れた村の慣習のようなものと捉えているのだが、そういった慣習も時代と人権意識の変化により「許されないもの」として近年、取り上げられたのだと思う。日本でも一部の地域では法を無視した慣習が残っているケースもあるので、一概に「悪」と否定はできない。多分に日本の捕鯨問題に通じるものがあるかもしれない。加えて、これに関して差別問題も関連してくる。カトリックの性的虐待の被害者には男性が多く占めているらしい。女性はインドのように差別的に扱われているとか。いずれも今起こった問題ではなく、何世紀も遡らないと理解できない問題のようだ。

 近年、過激派のイスラム教徒を批判する流れがある。だが、今回の映画を受けて、キリスト教も形は違えども類似した要素を持っていることがわかった。他の宗教だって大きな違いが無い筈だ。いままでの世の中「正、不正は別として、多数派の意見が時代を作ってきた」ことを再認識した。