2010年11月22日月曜日

Movie: Harry Potter and the Deathly Hallows: Part 1 (2010)


 10年にもわたるシリーズ映画になってしまった。こうなると最初の頃のディテールは記憶のどこかに消えてしまっている。この映画は間違いなく「最初から見直して見なければならない」代表作といえる。そういえば第一作を見に行ったときに幼稚園くらいの女の子を連れていった。その子は驚くべきことにキャラクターの名前をよく知っていた。もしかしたら「小さい子には分かるわけがない」と決め付けているのは一部の大人だけなのかもしれないなぁと思ったものだ...。だが今改めてこの映画を見て思う。この複雑な構成となる映画を子供に受け入れられているのかが未だに疑問だ。

 映画を見ているときは不思議と詳細をフォローしつつ見るため、サスペンスのような謎を埋め込んでいく映画のスタイルとは違うこともあり、展開がころころと変わっても、スムーズに理解できる(しかしそれでも数年経つと忘れてしまうところが多いことも事実)。大人顔になった3人(ドラコもか)だが、話も学校のエピソードが殺がれ、対決ムードで塗りこめられていることが彼らの成長を正当化しているようだ。過去の作品から連れてきたものもあったりするので、「あっあれ!これ!」という感じでやはり過去との接点を求めてしまう人が多くなることだろう。

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2010年11月14日日曜日

replace iPod mini battery


 発売当時に買って以来気にしていなかったバッテリーだが、ここ最近
急速に残量が無くなることが気になるようになった。なんせ自分のiPod miniは20曲も聴けば
バッテリーは半分以下に。

 ここは勢いでバッテリーを交換することにした。

 思った以上にネットにはバッテリー交換事例が多いので安心感ががある。

 速攻でamazon.co.jpでこれを買うことにした。


 思ったより上下の蓋部分を開けるのは困難ではなかった。

 注意すべきは両面テープで付いている部分をデリケートに剥がすところ。

 上下の蓋を外せば、あとはスムーズに作業が進む。

 問題はバッテリーを交換した後の作業。

 まず、バッテリーの接続線はうまく格納するための努力がいる。

 それから液晶の周囲にあるラバーがずれ込んだり、ラバー屑が作業を邪魔することもあったため
セットするときは画面あたりには特に注意が必要。

 まぁ、それを過ぎれば後は楽。再充電を施してiPod miniの健康を取り戻すことができた。






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2010年10月5日火曜日

Movie: 13-nin no shikaku (2010)



 多くの人は黒澤作品にラップさせてこの映画を見たことだろう。序盤はなかなか舞台劇風に感じさせるものがある。それもShimadaが暴君の残虐さに心を動かされるあたりまでは...。とにかく過去の名作と言われる時代劇には信じられないぐらいに脚本の裏に仕込まれた娯楽や芸術のサプライズがあったし、ヨーロッパ好みの日本映画のどれもがそのしっかりした土台を備えていた。ところがこの映画は...。

 人集めのあたりから、どこに面白さを持っていきたいのか、スタッフの目論見がわからなくなった。個々の人物像が薄すぎる。刺客の人数を強調する必要もない。更に、対決する双方の足取りも描き方に不足があるため、カケヒキの面白さがない。足りないものがあれば、他の部分で補えばよい。...それは決闘シーンか?。実はこの映画一番質を落としたのが決闘シーン。明石藩の人数が増殖するかのように増えていくのがあまりにもバカバカしかったりするが、それは言い訳が効くとしても似たような場面が多くて、くどすぎるのは逆効果。さらに要塞宛らのトラップや不死身男のような非現実的な描き方。不必要なセリフ。変な死に際の侍目線のカメラ。ギャグタッチの性的な場面...。映画に効果を与えることもせず、無意味以外の何者でもない。脚本の裏には老廃物でも溜まっているかのような印象しか残らないのだ。

 勿体ない。多くの人は期待していたことだろう。それにしてもKôji Yakushoのような役者が必要だったのか?。これは鑑賞後はCGのとんでもない逆効果が脳裏から離れない映画....と言っておこう。

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2010年10月1日金曜日

Movie: Kimi ni todoke (2010)



 Mikako TabeはSawakoになり切れるのか?いやその前にHaruma Miuraがどこまでkazehayaなのか?に注目が集まる。もし2009年に放映されたアニメの印象を引き摺る人がこの映画をみたなら、確かに違和感はあるのだけれど、Namikawa=SyotaとNoto=Sawakoのイメージに重なる部分を幾らか見つけることができると思う。一番驚いたのが、Kurumizawaに持っていたイメージに遜色無い人が演じていたこと。正直マイナス思考で鑑賞したのだが、見ているうちに、意外なくらい受け入れてしまう自分がいた。

 確かにアニメでは2クール分ある内容を2時間で見せられるのは早回し感がありすぎる。SawakoがYanoやYoshidaをAyane,Chizuruで呼ぶようになる過程もスルーされており、スピード展開の分、キャラクターが説明的なセリフになっているのが惜しい。それでもよくこの枠に押し込めたとは思うし、Mikako Tabeも予想以上にちょうどよい感じで演じていたと思う。

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2010年9月6日月曜日

Movie: Beck (2010)


 アニメ「K-ON!!」はぐだぐだながらもバンドを通してメンバーの融合因子を示し、「今現在、足りていない何か」を仄めかせている。決してテクニックでは片付けられない「共鳴できる」部分なのだが、それを信じられないくらいのだらだらな内容の隙間から映しているのだ。

 「Beck」もコミックからの作品。この映画に映る人物像はどちらかといえば「いけすかない」連中が多い。しかしこの物語ではKOYUKIという高校でパシリをやらされている弱い立場の人間が「いけすかない」感覚をメルトしていく展開となる。映画自体、素人っぽさとか商業性を含めバラエティ感覚をポリシーとしているようで、集中ポイントがあるわけではないのだが、個性表現が面白く出ていて2時間以上の作品を飽きずに観れてしまう。さて、ひとつ疑問だったのが、KOYUKIの歌声を出さなかった点。イマジネーションを観客と共有させ個々に歌声を想像させる手法も「アリ」だとは思うのだが、最後の曲くらい何かサプライズは欲しかったと思う。

 何気ないが最強の応援をするHIROMIや、バンドの下地と客を集める切っ掛けを作ったSAITO。こういったキャラが映画の底を押し上げてた。こういった部分をこの映画では評価したい。

 最近はJ-MELOのような番組でも感じるのだが、日本のポップスは数十年前の苦労とは段違いの速さで世界に受け入れられているようだ。そのほとんどは自分も知らないアーティストである楽曲である。世界のほうが日本について敏感にアンテナを伸ばしている気がして、なんだか遅れた感じがするのは否めない。


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2010年8月30日月曜日

Hot Spring Area - Misasa, Tottori


 三朝温泉。一度は行こうと思っていたもののなかなか切っ掛けがなかった。

 本当は家族で行きたかった。しかし単身赴任の身である自分。仕事の疲れを取る意味でもひとりで行くことにした。

 目的は温泉に浸かることである。

 相変わらず暑い日。

 安来から出発し倉吉で降りる。
 いきなり温泉にはいかず寄り道。倉吉のパークスクエアにあるに二十世紀梨記念館に立ち寄り、「倉吉に来た」という雰囲気を高めるのであった。幸運にも、今日は入館無料。即シアターにて二十世紀梨についての情報をみることができた。その後梨の味見も...。これは意外にも楽しい。自分の興味と近い部分があったからだろうか。最後にパーラーで梨ソフトを食べたがよい締になった。

 倉吉東高校前からバスで三朝に向かう。日曜日だというのに学校のグラウンドには学生が多かった。

 温泉の入口で降りる。三徳川の河原まで出て景観を楽しむためだ。予想以上によい雰囲気。確かに暑いのだが、水の流れでその暑さも半減するようだ。対面にある遊歩道には木陰が多く、与謝野晶子の残した句の碑もあったりして、ちょっと心が引き締まる気分だ。ただセミの声や雲の巣の多さから夏っぽさが占める割合のほうが多いことは間違いない。

 公衆浴場「たまわりの湯」に入る(五百円)。ここはちょっと狭い感じ。湯はややヌルヌルしている。温泉地の雰囲気は公衆浴場である程度把握できる(と思っている)。

 宿はネットで予約した旅館。格安(三千円)の部屋。これが予想以上に素晴らしい部屋だった。トイレバス付き。部屋も広い。食事は当然付いていないが大当たりを引いた気分になった。夕方には大浴場の岩風呂に入る。まさにこのときにために来たようなものだ。最高だ。

 夜は、居酒屋でビールとお好み焼き。周囲は日曜の夜だというのに飲み会で溢れ、ひとりの自分はカウンターで野球中継を見ながら箸を動かす。

 夜もまた散歩するのは楽しい。ただお金の制約もあり欲は出さない。

 こんな感じで2日間過ごした。安来から出発し、倉吉、三朝を楽しんだ一泊ひとり旅行。なんと交通費、食事などを含め総額が8千円。充実した週末になった。ラッキーの極めつけは、安来の住処に到着してすぐ豪雨となったこと。あぁ神様。
 


かじか橋からの眺め


遊歩道から古風な作りの旅館を撮る


かじか橋の足湯


たまわりの湯


宿の部屋


南の方面


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2010年8月23日月曜日

Movie: The Karate Kid (2010)


 アジア圏以外では「The Karate Kid」というタイトルをつけたリメイク作品。オリジナルは1984年のAvildsen監督によるもので、Ralph MacchioとPat Moritaのコンビは印象深かった。自分と同様に一般レヴュワーの多くはオリジナルと比較していた。

 なぜタイトルが「Katate」だったのか?。リメイクということからオリジナルを尊重したのか、Karateのほうがコマーシャルラインに乗り安かったのか...(「KungFu Panda」 というアニメーションがあったことから、このラインは薄い)。いずれにしても、欧米も含め多くはKungFu Kidという風に捉えている。

 ただ、空手にしてもカンフーにしても、武術の基本「気」という部分ではつながっているめ、全く別物と呆れるまでには至らない。箸でハエを捉えるエピソード。足を執拗に攻撃するところなどは、オリジナルを曲げないという姿勢がある。一方で、かつての「ワックスオン、ワックスオフ」を「ジャケットオン、ジャケットオフ」としたり鶴のようなポーズで、コブラの動きを悟る部分では、中国舞台という意味での新たなる世界観を出そうという感じが伝わる。

 しかし、全体を通してみるとオリジナルで受けた「感動」の「か」の字も出て来ない。これはまずキャラクターのパーソナリティ差によるところが大きい。一番大きいのは、オリジナルがアメリカ舞台の中で日本の空手から「心」を学んでいく感じがよかったのだが、今回の中国版、主人公が何かを学びとって成長している姿には映らない。逆に、これで勝てたら「カンフーとはそんなものか?」と誤解を受けてしまいそうな内容になっている。それにどこかで「燃えよドラゴン」風を意識した「寄り道」も感じてしまうし...。

 残念ながら、この作品は単純にオリジナルの価値を浮き彫りにする役目だけのために作られた...と言える。


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2010年8月22日日曜日

Move: Time Of Eve (2010)


 日本は戦争ができない国だ。憲法でも武力威嚇や武力行使について「永久に放棄」とある。もしこれを改訂することがあるのならば「永久」をどのような意図で除去したり、もしくは変更するのかは想像もつかない。しかし実際問題、現実味を増している東アジアの有事の場合、アメリカなどは同盟国の支援や保護に真剣に取り組むのだろうか?。今や世界が繋がる中で「他人事」という考えも実は根付いているのである。メディア誘導から生まれる偏見。肉筆によるコミュニケーションが薄れている社会構造が国際関にも政治の重大局面でさえも的外れな成り行きを生み出す予感がする。

 「イヴの時間」。短編シリーズでみたロボットと共存する近未来生活が劇場版となる。この映画でまず思ったことのひとつ、「矛盾は打破できない」。矛盾があってこそ生活はある...のだろう。次に思ったこと。今で言う他国との共存をグローバル社会というならば、それをロボット社会にすり替えた場合、見えづらかった問題点が露呈されるということ。矛盾の面から見るならば、この中で登場する倫理広告に「機械が作ったトマトを、食べますか?」というのがある。「機械を人間が作ったもの」と定義できるならば、ここには矛盾がある。今ならば外国依存形の加工貿易のようなものに近い考え方だが、一概に同等ではない。そして、グローバル社会の面からみれば、このアニメでは「イヴの時間」という、人間もロボットも区別のつかないスペース(喫茶店)が存在するのだが、そこでは人間もロボットもどちらもコーヒーは飲む。ルールという拘束具から開放されたロボットは人間のように振る舞うし、人間のような冗談も言う。目線の違いがあるとしたら「新しい人」がもたらすときである。

 ここで現実に振り返れば、未だに「グローバル」の根底には(イヴの時間とは対局的に)違すぎる目線。

 自分のなかでまだ論法をまとめられない問題....このアニメはシンプルな場面設定において、その裏側はかなり複雑である。


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2010年8月12日木曜日

Movie: Chonmage purin (2010)



 地味である。小ぢんまりしている。奇抜さは感じない。

 タイムスリップの件はわりとどうでも良い感じだ。むしろ帯刀する侍姿に対する人々の反応が覚めた感じで、そっちがむしろ怖い。

 全体的に田舎臭さのある展開なのだが、面白かったのはハンバーガーショップでの安兵衛の行動と客の反応。「日本もこうなってしかるべき」を表した場面だと思う。その他、ケーキの城作りでの機転。そして応用力。便利すぎる世の中で鈍重になった人の生活に蹴りを入れているようだ。

 ものすごくギクシャクした展開なのだが、いい感じの流れには成っていたと思う。

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Movie: Salt (2010)



 Angelina Jolieの役には凹凸がある。流石に映画の出来はどうであれ「Changeling」や「A Mighty Heart」のような人物像にはあまり好感は持てない。むしろアクション女優だから本領発揮できる女優ではないだろうか。しかしアクション場面に見せ場を作りすぎれば、映画の質の面で何かが犠牲になる。これもそう。よって彼女としての「これだ」という作品に出会うにはまだ時間がかかりそうだ。

 アメリカ映画には、現代の政治と絡めての架空の交戦を設定した映画は多い。映画にあまり現実味を持たせすぎるとどこかで問題が勃発してもおかしくはない。今回の映画は、ロシアのスパイという設定だが、あまりに大味過ぎて映画の細部で議論となることにはならないだろう。

 結果的に、結局冒頭で成り済まし演技をしていたCIAスタッフが複数いたことになるのだが、これは前半の行動を思い返すと些か解せない点、いろいろとある感じ。物語を面白くさせる意味でか脚本の強引な持って行き方による違和感の典型例ではなかろうか。

 最後の場面は何を語る?あまり詮索すべきではないのか?

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